手帳と共に生きることを決意するまでの3ステップ

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毎年、年末近くになると、文具売り場には「手帳コーナー」ができる。
すでに購入した後でも、「どんな手帳があるのだろう」とつい立ち寄ってみたくなる。
そして、素敵な手帳を見つけると、「これを使えばとても有意義な1年を送ることができるはず」という魔法に、一瞬だけかかってしまう。

最近では、小学生でも手帳(スケジュール帳)を持っていることもあるが、「手帳」との初めて最初の出会いは中学時代の「生徒手帳」だった、という人も多いだろう。
といっても、生徒手帳は何かを書くというより、校則等が書かれた「中学生マニュアル」のようなものであり、最大の役割は「写真付きの身分証明書」だったと思う。
白紙のページもあったが、連絡事項などをメモするか落書きするくらいで、手帳は「自分のため」のものではなかった。

中学、高校生、それから大学生、そして社会人、主婦へ…と立場が変わると、手帳との関係も変わっていった。
一口に手帳と言っても、その意味するところ、役割は様々だ

今回は手帳と共に生きた3つの時代についてまとめてみた。

1-学生時代の手帳の使い方

細かい予定で埋め尽くされた大学時代の手帳

大学時代、手帳は携帯必須アイテムだった。
講義、サークル、コンパ、バイトに遊びと、細切れで入る予定で手帳が埋め尽くされていく。
毎朝、キャンパスの掲示板に立ち寄って、『休講』の欄をチェックして予定を書き換えたり、通学の電車の中では必ず手帳を広げ、予定を確認したり、過去の記録を振り返ったりしていた。

今では「アプリ」を使う学生も多いと思うが、学生向けの手書きの手帳もまだまだ人気があるようなので、現代でも似たようなことをしている若いコもいるかもしれない。

手帳は自分の管理人

学生時代、手帳が欠かせなかったのは、24時間のすべての時間を自分で管理しているようなものだったから。

家と学校との往復、たまのイベントくらいしか予定がなかった高校時代までは、「○月〇日 体育祭」のような予定を適当にカレンダーに書いておけばそれでよかった。
けれど、大学時代は雑多な予定が入り、まるで映画のシーンが切り替わるように、1日のうちでシチュエーションがめまぐるしく変わっていったから、いつどこで何をするのか、手帳に書いておく必要があった。
青春時代とは、万華鏡のようにめまぐるしく色とりどりで、そしてはかないものであった…

そんな日々の中、手帳がないと、いつ何がどこで行われるのか、まるでわからなくなってしまう。
誰も自分自身の生活に責任を持ってくれないから、手帳が唯一の自分の『管理人』だった。

当時使っていた手帳は、『4月はじまり』のものだった。
3月になると、手帳売り場に行って気に入ったデザインのものを探すのが楽しみだった。

2-社会人時代の手帳の使い方

会社が自分の管理人になる

社会人になると、手帳の書き方が少し変わった。

最大の変化は、『1月始まり』の手帳に変えたこと。
仕事にもよるだろうが、社会人にとって「4月」は区切りにはならない。
会社としては決算や人事異動などの節目もあるが、自分としては昨日までと同じ席に座り、同じ仕事を続けるだけだった。

社会人(サラリーマン)は、自分自身ではなく『会社』が管理人である。
始業時間を自分の都合でずらしたり、仕事の分量を増減させることはできない。
毎朝決まった時間に会社に行き、一定の時間までは仕事を離れることはない。
そういう規則正しい生活が、日常を形作っていく。

すると、手帳がなくても、なんとか自分の生活は管理されていくものになっていった
学生時代のような細切れな予定で手帳を埋めていくようなことは、なくなっていく。

とはいえ、やはり自分の管理人は自分!…のはずが…

といっても、社会人なら社会人なりの手帳の使い方がある。
仕事の進捗状況や情報、またはプライベートなイベントなどを書き込むのが、社会人の手帳の使い方。
だから一応は、会議や出張の予定、飲み会などのイベントなど、つまり「特別なこと」を書くためのツールとして使っていた。

私の仕事は、事務の○○係、営業の○○エリアといった「特化」した内容ではなく、零細企業だったために、非常に多岐にわたる業務をこなしていた。
仕事の「量」は少なくても、「種類」がとんでもなく多く、何から手をつければよいのか分からなくなってパニックになることも多々あった。

そう! そんな時こそ手帳を活用!
…というテクニックが、当時の自分に備わっていればよかったのだが、社会人の駆け出しの時期には、仕事をこなしていくのに精いっぱいで、自分を「マネジメントする」という発想すらなかった

何が何だかよくわからずに仕事をしていたが、そんな自分が変わるきっかけがあった。
それは、手帳とは関係ない話になるので、またどこかで書こうと思う。
とにかく「社会人の卵時代」の自分は段取りが悪く、当時の黒歴史の一つである。

3-主婦の手帳の使い方

何かに追われ揉まれ自分を見失っていた

さて、数年の会社員時代を経て結婚し、主婦という肩書も加わることになる。

仕事の形態は、現在の形に落ち着くまではパートや派遣等様々だったが、その頃はほぼ手帳を使っていない。
購入はするものの、書くのは最初の数ページ、予定が入るとカレンダーやその辺のメモ用紙に書くこともあった。
予定がわからなくなるときもあり、生活は次第に乱れていった。

仕事も家事もある程度は真面目にしていたが、逆にそれは言い訳になってしまう。
社会人の生活というのは規則正しく、ある意味とても「真っ当」なので、誰からも非難されることはない。
仕事に真面目に取り組み、家事やら日常的なことをそれなりにこなしていたら、本来は「乱れ」とは言わないが、自分自身が非常に心もとなく不安な日々に流されている感覚に陥っていった。

手帳のせいだけではなく、30代という中途半端な年齢や、自分自身の環境のせいでもあったのだが、時間ときちんと向き合えていないことでけじめがつかなくなり、自分を見失っていった面も大きい。
人生が途方もなく長く果てしなく、一寸先も見えず、ただ大海をただよっているように、心細く思えた。

「夢をかなえる人の手帳」との出会い

さて、ここで運命的な言葉に出会う。
それが、「夢をかなえる人の手帳」だ。
これは、藤沢優月さんという著者による書籍名であり、そして手帳名でもある。
非情にかいつまんで言うと、「手帳を活用することで自分の夢をかなえる人生を送れますよ」という内容だ。

そのフレーズを目にした(恐らく何かの広告だったと思う)ときには、まず「夢」という言葉が気になった。

夢?
別に世の中をひっくり返すような大きな夢を持っているほどではなく、ものすごく責任の重い仕事をしているわけでも、どこかの分野で成功を収めたいとも思ってはいないのに…

「夢」なんていう言葉は文字通り「夢」、おとぎ話のような言葉では?

すでに30を超えている自分には、無関係な遠い世界のお話…

しかし、本を読み進めていくうちに「夢」とはそんなに仰々しいものではないということに気づく。
「やりたいことをやる」「やりたくないことはあまりやらない」という程度の希望だったり「理想だったりが、「夢」なのだ!
…という話は、このブログで何度も述べている通りだ(つまり、このブログのテーマの原点は、「夢をかなえる人の手帳」にある)。

やりたいことか…当時の自分は、ちょっと考えてみた。

『ピアノを弾けるようになりたいな』
『今年の冬は野菜スープ作りに挑戦しよう』
といった楽しみ
『アイロンかけなきゃ』
『冬物のブーツを買おう』
という義務や目標

それが、広い意味での「やりたいこと」で、自分にとっての「夢」では?

だが、時間に飲み込まれてだらだら日常を過ごしていると、「野菜スープづくり」のような些細な夢をかなえるどころか、アイロンのようなすべき仕事さえ先伸ばしになったりする。

そんなことの繰り返しで1日が、1週間が、1ヶ月が終わる。
だらだらな生活、だらだらな人生、そこから抜け出す方法の一つとして手帳があるなら、とりあえず使ってみよう、と思った。

自分を変えたい、豊かな人生を送りたい、小さな夢を達成させながら日々幸せに暮らしたい…
もちろん、大きな夢をつかんだり成功したいと思ったりしても、まずは手帳からスタートするのは一つの方法だと思う
お金もかからず、すぐに始められ、誰にでもできる自己実現と自己管理

それに気づいてからは、ずっと手帳とともに生きている。
というより、時間とともに生きていることを、手帳で確認している。