シンプルライフを目指す! 必要最低限とは何?

断捨離の時間
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何でも手に入る現代では、気づけば家の中はものだらけになる。
モノが沢山あると、なぜか裕福で満たされた気がして、次から次へとモノを家の中に取り入れる。
あるいは、もったいないおばけに憑りつかれて、物を捨てられず溜め込んでしまう。

長く生きていれば生きている分だけ、モノの数も管理すべきことも増えて、とっ散らかっていく。
家の中も、そしてきっと自分の中も。

だから、シンプルライフを目指したいと思う。
自分にとってのシンプルライフとは何かを考えてみた

現代はモノが多すぎる…

モノが勝手に集まってくる時代

21世紀、そして令和の今、モノは何でもすぐ手に入る。
100均やファストファッションなどの格安な品が手に入りやすい時代。
お金があればもちろん、お金がなくても、街で配られているティッシュやチラシ、何かを買った時のパッケージ、景品でもらうあれこれ…モノが自然と集まってくる。
何も考えずに過ごしていると、家の中はあっという間に「ごみ屋敷」になる。

だから、あえて意識的に「シンプルライフ」を目指さないと、沢山の物に囲まれて身動きが取れなくなる。

モノを所有するのは、モノを管理すること

家がどんなに広くて収納場所がたっぷりあったとしても、自分は一人しかない。
モノを「置く場所」があっても、それを使い、身につけ、管理するのは自分だけだ。
お手入れとかメンテなどの管理であれば、家族や家政婦が代わりにすることも可能だが、この場合の「管理」とは、「モノの所有権を持っている」という意味だ。
モノを所有するというのは、所有権を持つということで、つまりはモノを管理するということ

管理するものが増えれば増えるほど…とても面倒で疲れてしまう。
人生の限られた時間の中で、そして限られた空間の中で、モノの管理ばかり気にして過ごしていたくはない
若くて時間と未来が無限に近いくらいあるならまだしも、年を重ねたら「シンプル」にしないと、疲れるばかり。
だから、シンプルライフを目指したい。

ミニマリストに学んでみる

ミニマリストに学ぶシンプルライフの考え方

シンプルライフというと、究極にそれを実践しているのが「ミニマリスト」と呼ばれる人たちだ。
ミニマリストとは、自分の生活に必要最小限のものだけで暮らすライフスタイルを営む人のこと。
この「必要最小限」というのが、人によってさまざまだが、「所持品の合計数は数百個(百数個のことも)」「服の数は10着」「ベッドや机、テレビなどは持たない」などと、ぎりぎりの所持品で暮らしている人もいるという。

ネットや雑誌などで紹介されるミニマリストは、究極まで所持品を減らして、白と黒、あるいは無印良品のような色彩の中で暮らしているような人たちだ。
彼らは「なくても何とかなる」と少しでも思えば、大胆に切り捨ててしまう

ミニマリストの生活は、私の描く「理想のライフスタイル」ではない。
「なくても何とかなる」かもしれないが、「ヨガマットをベッド代わりにする」のは睡眠の質を考えると私には向いていないので、やはり「ふかふかのベッド」を置きたいし、「服の数を10着」だと色々なおしゃれが楽しめないので、もう少し服も持っておきたいと思う。

けれど、ミニマリストの「必要最低限のものを持つ(あるいは必要最低限のことだけする)暮らし」という考え方は、非常に参考になる。

必要最低限とは

「自分にとって」の必要最低限とは何だろう。
無人島に持っていくもの、隕石が落ちてくることが分かっていてバッグ一つをシェルターに持っていけるとしたら持っていくようなもの…
そこまで極端でなくてもよいのだ。
何でもかんでも必要最低限を目指したいわけではない。

自分の所有している時間を考えたとき、「物の管理に費やす時間」はどうしても限られているし、「物を管理する場所」も限られている。
その大切な時間とか空間とかは、自分が本当に大切にすることを中心にしたい。
それが「必要なこと」で、それ以外のことが「必要最小限」だ。
つまり「それほど大切ではないもの」については、「必要最低限」を決めてしまいたい。

必要な数を決めてしまう

ミニマリストの考え方を参考に「自分にとって必要最低限とは?」を一つ一つ考えてみる。

例えばタオルだったら何枚あればよいのだろう。
「普段使う分」と「予備」があればよいのだから、毎日取り換えて1~3日おきに洗濯をしている現状を考え、最低限は3枚、予備としては2枚程度、予備の予備を持っておくとしても7、8枚あれば十分だ。

実は、シンプルライフを目指す前は、タオルだけで3、40枚くらいは持っていた。
その理由は…
どうせいつかは使うものだから。
↑という理由で気に入ったら購入し、また贈り物としてもよくもらっていたから。
そして、それらを収納する場所があったから。

確かに、タオルなどは「あって困らないもの」であり、確かにいつかは使うものだ。
だから、普段使うタオルは収納ボックスに入りきるだけ入れて、入りきらない分は別の箇所(衣装ケース1ケース分くらい)に保管していた。
「タオル愛好家」でも「タオル収集家」でもないのに、タオルのために固定資産税を払い、ローンを払い、家賃を払いながら暮らしてきたようなものだ。

「自分にとって大切なもの」が「必要最低限」だとしたら、「何十枚もタオルを持つ」ことは、その定義から完全に外れている。
そのあたりを一つ一つ見直していく作業が、シンプルライフへの道だ。

自分のルールを明確にする

シンプルライフのための「ルール化」

シンプルライフとは、所持品を必要最低限(に近い)にして暮らすことだけではないと思う。
自分に取って必要ではないもの、それほど大切ではないもの、どうでもいいものについて、可能な限り「シンプル」にしていく。
時間とか習慣とか、自分が管理するすべてのものについて「大切なものか」それとも「それほど大切ではないか」を考えて、それほど大切ではない場合はなるべくシンプルにする。

なぜなら、限りある時間と人生を「自分にとって大切なこと」に使いたいからだ。
不要なものは「シンプル化(ミニマム化)」したい。

シンプル化とは「なるべく手順を簡略化すること」、そして「ルール化すること」だ。
手順が多ければ多いほど面倒だし、間違えるし、疲れてしまう。

暮らしの中で、知らず知らずのうちにシンプル化していることもある。
例えば、お風呂で体を洗う順番、食事の取り方(朝はパンとかご飯とか食べないとか)など、皆知らず知らずのうちにルールを決めている。

ルールに縛られずに生きていくのは、一見自由に聞こえるけど、その都度決めなくてはいけない事ばかりになるので、本当はルールがあったほうがずっと楽なのだ。
交通ルールがなければあちこちで事故が発生しまくるだろうし、道を歩くだけでリスクになるという社会になる。

といっても、この場合のルールとは、誰かが決めたルールではなく、自分で決めていくルールだ。
そのルールを明確にしてみる。

ルールを極限までシンプルにする

ルールは新たに考えるのではなく、今の自分の生活パターンを一度書き出してみて、それを「ルール」にする。
例えば…

一日のスケジュール
モーニングルーティンやナイトルーティン。Youtuberになったつもりで自分を動画に撮ってみても面白いかもしれない。
気ままな休日であっても、Aさんの「休日」とBさんの「休日」は全然違っていて、休日の過ごし方の中にも知らず知らずルーティンがある。

お買い物のルール
自分がどんな風にお買い物をするのか。そこにもパターンがある。
私の場合は、何かネットでほしいものを見つけたら、とりあえず「スクショ」する。
時間のある時にスクショしたものを再度検索して、他の類似品と比べたり、どこで買うかを考えてみたりして、購入を決心したら行動に移す、という行動をとる。
お買い物くらい好きにすればよいのだが、実は少し買い物を「面倒なこと」と思っているので、あえてのルール化だ。

家事のルール
家事が大好きなら別だが、面倒で仕方なく、出来ればやりたくないと考えている。
こんなものこそ、シンプル化、ミニマム化、ルーティン化の筆頭だ。
どうすれば「楽できるか」を徹底的に考え、それをルール化する。
あとはルールに従ってやればよいだけなので、ずいぶん楽になる。

すべてのことを大切にするのは難しいから、自分が特に大切にしたいものに集中する。

現代社会は、単純な暮らしだった時代(産業革命前、文明開化前、戦前、または…あたり?)に比べてずいぶん複雑になり、下手すれば抱えきれないものだらけになる。
抱えきれないものは、捨てたり、あるいはシンプル化していけばよい。
それがシンプルライフ。