捨てられない断捨離! 「いるもの」を決める3つのコツ

断捨離の時間
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断捨離をする中で気づいたのは、家の中には「いるもの」と「いらないもの」しかない、ということだ。
いらないものを捨てれば即ち断捨離の完成だが、その区分がむずかしいから悩むところだ。

いらないものの区分は難しい。
「いらないかもしれないけど、いるかもしれないもの」をすべて「いるもの」に分類して、なかなか片付かなくなる。

「いるもの」を決めるための3つの視点を考えてみた。

1ー必要最低限のもの

必要なものだけで暮らす~ホテルライフを目指す

ホテルの部屋では、どうしてこんなにシンプルに快適に過ごせるのだろうと思う。
それは、プロが整えたインテリアのおかげ、だけでなく、今の自分にとって必要最低限のものしか部屋に置いていないからだと思う。
とても広いホテルルームであれば、ものを置く場所はいくらでもあるかもしれないが、例えば2泊3日程度の宿泊であれば、沢山の物を持ち込まないだろう。

いや、むしろ不必要なものすらある。
引き出しを開けるとなぜかどこのホテルでも入っている宗教関係の本だとか、使わないアメニティだとか。

それらを部屋から追い出すことができたら、本当の意味で、自分に必要なものだけが残る。

ドラマなどで見る江戸時代の人たちの暮らしなども、そう。
家は決して広くはないが、足の踏み場もないわけではない。
当時の日本のライフスタイルは、「一つの部屋でリビング、ダイニングルーム、客間、寝室」という機能を持たせていたため「足の踏み場もない状態」だと、寝ることすらできない。
スッキリしているのは、すっきりしないと暮らせないためでもあっただろうし、物自体もそんなに多くはなかっただろう。

ホテルや江戸時代の日との暮らしには、「今必要なものだけ」がある。
逆に考えると、「不要なものを置くスペース」がない。

不要なものが多ければ多いほど、部屋は乱雑になっていく。

ものを厳選する

要するに、家の中にものが多い理由は、「モノを簡単に手に入れられる」ことと、「収納場所があるから何となく家に置いている」からだろう。

もちろん、「今すぐには必要ないが、明後日は必要」だったり、「数ヶ月後には必要」「年に1回は必ず必要」なものもある。
けれど、「ここ数年全く使っていないもの」とか、一つの用途のために複数用意しているものなどもある。

買ったきり数回しか使っていない健康器具や、流行おくれの服。
また、確かに必要ではあるが、本来幾つもいらないはずのもの…例えば、ハサミが家の中に5本も6本もあるとか、予備を含めても明らかに多すぎるタオルの量とか、要するに「総数」が多いもの。

まずは、とりあえず生活に「必要な最低限」のものを厳選してみる

例えば、アメリカの西部開拓時代を思い浮かべ、馬車に積み込んでいくなら何を持っていくかを考えてみる。
少なくとも「ハサミを6本」はいらない。
ハサミは1本あればよいのだ。
予備がいる? 壊れたら? なくしたら?
どうしてもという場合は、2本くらいはあってもよいが、6本はいらないだろう。

その1本(2本)のはさみを持っていくなら、切れ味の悪いサビかけたものではなく、ちゃんと使えるものを「厳選」するはず。
西部開拓時代ならともかく、実際は現代日本にいるのだし、ハサミが壊れたらすぐに買いに行ける。

家の中に置くものは「厳選された」ものだけでよい。

2-意味があるもの

ミニマリストの嗜好に学ぶ「必要なもの」

所持品を究極に減らした人たちを称して「ミニマリスト」と呼ぶ。
彼らの所持品はほんとうに少なく、総数で100アイテムも持たない人もいる。
ベッドの代わりにヨガマットと寝袋、服は年間で10着程度、そして所持品の色は無彩色…

物全体の数が少ないので管理は楽だろうし、見た目もすっきりしている。
もちろん、少ない所持品だけで生活するために、徹底して持ち物にこだわりぬいている。

断捨離をするにあたり、ミニマリストの考え方はずいぶん参考になる
だが、取り入れたいのはミニマリストの「考え方」だけで、ミニマリズムについては自分が求めているものは少し違う。
要らない、使わないとわかっていても、大切なもの、捨てられないものは側に置いておきたい
例えば、愛犬のものは、子犬時代の服から動物病院の領収書(ワンコの写真入り)まで捨てたくない。

ミニマリストの考え方で参考になったこと、それは「必要最低限のもの」をもつこと、必要とは「自分にとって意味のあるもの」だということだ。

意味のあるものを持つ

モノは所有する意味があれば「必要なもの」になる。

他人から見ると「子犬時代のトリミングの領収書」のように、今後の人生でまったく役にも立たなければ、見て楽しいものでもないものであっても、私にとっては「愛犬の子犬時代を思い出させる大切なもの」である。

その意味付けは本当に人それぞれなので、「こういったモノは必要ない」と定義づけることは誰にもできない。
自分にとっての「いるもの」と「いらないもの」を一つ一つ考える長い旅、それが私にとっての断捨離だ
考えてみた結果、「よく考えたらどうでもよいことだった」ということであれば、それは「必要ないもの」として考える。

3-買い直す

無人島にもっていかないもの

もしも今、何も持たない状態でこれから新生活を始めるとして、何を購入するか、を考えてみる。
流行遅れな高価な服、今のライフスタイルに合わない食器、好みが変わってしまった雑貨…などを、今お金を出して買おうとは思わない。
そう考えれば「いらないもの」は自ずと見えてくる。
所持品の中には、「今から無人島に行くとして持っていくものリスト500」にも入らないようなものが非常に多いのだ。

わざわざ今買い直そうと思わないもの。
無人島にもっていかないようなもの。

これは今の自分が「いらない」ものだ。

とはいえ、現実には昨日までの生活を全て捨てて、新生活を始めるわけではない。
引越をする場合も、すべて捨ててすべて買い直すわけではない。
むしろ、荷造りが間に合わなくて、ゴミまで引っ越し先に運んでしまうこともある(執筆者実話)。

だから、「いらないもの」はなかなか処分しにくいが、少なくとも今後買い物をするときに無人島を思い浮かべてみると、ちょっとだけでも「いるか、いらないか」を考えるヒントにはなる

残っているものに意識を向ける

mionaが断捨離を初めて、早10数年くらい経っている。
(数年かけてもまだ終わる気配を見せないことの理由の一つは、途中で自分のもの以外のものまで整理しなくてはいけなくなってしまったからだが)

断捨離はまだまだ道の途中、未知で途中。
捨てる決心がつかず、なかなか物を捨てられない性分だったが、さすがに「手放す」というのが一種の快感になってきた。

けれど、断捨離は「捨てる」ことがメインではない
捨てるときは捨ているものに意識が向っているが、捨ててしまえば、残っているものに意識を向けるようになる
捨てたもののことをくよくよ思い出す、などということはほぼなく、残ったもの、そしてこれから自分の生活圏内に迎え入れるものがとても大切に思える

多分、それが断捨離の本当の目的なのだと、ようやく朧げに見えてきた。
断捨離とは意外にも奥深い。