収納術は一種の催眠術? それとも媚薬? 本当は怖い「収納術」

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雑誌やWebコラムで「収納特集」を組めば、売上や閲覧者が爆増する!…という統計があるのかどうかは知らないが、「収納(術)」というのは、何か媚薬のような魅惑的な響きを持っている。
収納術さえあればきれいになる! 収納場所さえあれば部屋は片付く! 
クローゼットでもバッグでも、車でも財布でも「収納力」をうたっているものは多いし、収納はたくさんあるに越したことはないと思い込んでしまう。
まるで催眠術にかけられたように。

確かに収納力が0なのは困るが、「あればあるほど良い」かというと…果たしてそうなのだろうか。

本当は怖い「収納術」

収納術とは、モノを際限なく増やしていく「底なしの術」

収納スペースが全くないのも使い勝手が悪いが、収納スペースは「あればあるほど良い」わけではないと思う。
しかも、収納スペースとは、あればあるほど「使わなきゃ!」という強迫観念に駆られてしまう

これから注文住宅を建てる場合は別だが、すでに完成された建売、中古住宅やマンション等は、作り付けの収納スペースがあることがほとんどだ。
私も数々の住居に暮らしてきたが、今思い返すとどの家も十分な収納スペースがあった。
また、「収納タンスはあるのが当然」「テレビ台があるのが当然」「リビングにも棚くらいあったほうがよい」と、「収納家具は買うべきもの」だと思い込んでいた
時には家具とは言えないような、安っぽい三段ボックスを置いてまで収納スペースを作ろうとしていた。

収納スペースがあれば、魔法のように家がすっきりする!と本気で信じていたのだ。

収納術とは、不要なものも溜め込む「溜め込みの術」

私は「収納テクニック」については、まあまあ自信がある方だ。
備え付けの物置や棚、タンスといった後から購入したものはもちろん、隙間を見つけては収納、突っ張り棒を利用しては収納、収納グッズを買っては収納。
よく見たら、家中あそこにもここにも空間があって素敵な収納スペースに早変わり! 
―すごいでしょ、私って。
と、収納上手な自分に本気で悦に入っていたのだ。

このように「収納上手」なこと自体は別に悪いことではないのだが、「上手すぎる」と、大切なコトを見逃してしまう。
収納上手とは、「作ろうと思えばかなりの収納スペースを作れる」ということ。モノをたくさん所有していても、何とかしてどこかに収めてしまう。
となると…つい、ものをつい溜め込んでしまう。
モノをため込んでもきちんと「収納」しているので、汚部屋というわけではない。「やたら収納家具が多い」部屋になる可能性はあるが、「隠す収納(扉や布などで収納したものを一気に隠してしまう)」をすれば、特に「汚い部屋」「散らかっている部屋」にも見えない。

だから、モノが増えていく…。
大切なもの、本当に必要なものであれば仕方がないが、私の場合は一言で言って「ガラクタ(これからもう一度手に入れようとは思わないようなもの)」が、所有スペースの半分くらいを占めていたことがあった。
そして、収納スキルがあるがために、それらを置く場所がないと悩むこともなく、長い間その事実に気づくことすらなかったのである。
自賛していた「収納上手」とは、「収納スペースを作ることがうまい」というだけだったのだ。

収納術とは、広い部屋でも狭く変えてしまう「猫の額術」

自分が「エセ収納上手」であることに気づいたのは、かつて住んでいた「狭くて古い」アパートの間取りを、ふとネットで調べてみたときだった。

昭和後期の建物なので古いのは事実だが、狭いと記憶していたその場所は、思っていた以上に床面積が広いことが発覚したのだ。3DKの間取りに「押入サイズ」の収納が3つもあり、キッチンのシンク下、シンク上にも十分なスペースもあった。
2人暮らしでこれだけあれば十分なはずなのに、本やコートなどは押入に収納するのは難しいためハンガーラックや本棚を置き、元々持っていた収納家具も引越でそのまま運び込んでいたため、部屋中が収納家具だらけになっていた。
このため生活空間が狭くなっていたのだが、それを「そもそも部屋が狭いから仕方ない」と思い込んでおり、たっぷりある押入スペースにも「整然と」ガラクタが収納されている、といった状態だった。
今となっては、あきれるほどにもので埋め尽くされた部屋だった。

収納術とは、管理に時間を奪われる「時間泥棒の術」

モノが多いと管理が行き届かず、管理するために人生の貴重な時間が奪われてしまう。

そういえば、実家はもっとひどかった。
実家は戸建て、しかも、庭がかなり広かったため、家の中にものを置く場所がなくなったら「増築」が可能だった。サンルームに廊下や部屋の増築…スペースが増えれば増えるほど、モノは増えていく。

モノのメンテだけなら、家政婦なり家族の誰かなどの「他人」に任せられるかもしれない。
けれど、モノを使う、捨てる、保管するといった判断面での管理は、自分でするしかない。

過剰な収納はムダにしかならない。
無駄とはスペースの無駄。管理するためのエネルギーや時間の無駄。
収納だけの大切なエネルギーを使いたくない(収納が趣味の人は除く)。

収納術とは、家賃や固定資産税をむしり取る「税務署貢献の術」

仮に、家中のものが全部納まるくらいの収納力のある家があったとする。新たに収納家具を設置する必要もないので、家の中はスッキリし、「モデルルームのような」部屋が出来上がるだろう。
最近では、実際に「収納力」を前面に出した間取りも多い。

が、大事なことを忘れている。収納場所も「我が家」だということ。
身もふたもない言い方ではあるが、収納スペースにも家賃や固定資産税がかかっている

例えば、月々のローン(または家賃)が10万円だとして、そのうち収納スペースの割合が1割だとすると、毎月モノを置くために1万円を延々と払い続けていることになる。必要なものを置くためなら仕方がないが、何となく置いている場合は、「何となくスペース代」がかかっている計算だ。
豪邸に住み、お金にも困っていない場合は問題ないが、出来る限り出費を抑えて快適に暮らしたい場合は、収納スペースにかかっている費用について見直した方がよい。

収納術とは、収納すべきものをとことん整理した後に使う「ラスボスの術」

収納術はあるに越したことはないが、部屋を片付ける際、それは最初に使うテクニックではない。
モノを右から左に動かすといった収納術は、本当の収納ではない。
収納テクニックがあれば、一見部屋はきれいだし、収納されているものもきれいに分類、整理されている。
だが、どこかに収納したところで、家の中に物があるという事態は何も変わらない
つまりは、家に入ってくるものを処分しきれずに、ただきれいな形で溜め込んでいるだけ、のことも多い。

収納術とは、収納すべきものをとことん整理した後にこそ真価を発揮する「ラスボスに使うための術」と心得よう。