更年期からの変化について考えるべき3つのこと

50代の生き方
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50代は立派な更年期である
更年期…というと、真っ先に「ヒステリー」という言葉が連想されていたのだが、あれはなぜだろう。
「あたしゃ、更年期だからヒステリー」
というセリフを、何かのマンガで読んだ気がするのだが、忘れてしまった。

とにかく、若い頃には嫌悪感しかなかったそのワード、昼間のデパートの百貨店のようなおばさんっぽいニオイ、そこに今、自分がどっぷりと浸かっている。

浸かってしまって分かったのは、更年期とは一言で言うと「変化」
確かに、言葉の成り立ちを見ると「年が更(あら)たまる」という意味だ。
誰が言い出したのかは知らないが、この今の状態を、素晴らしく適切な言葉にしている。

そして、決して「ヒステリー」などというニュアンスなど含んでいない。

自分自身が感じた更年期からの変化について考えるべき3つのことをまとめてみた。

1-更年期は二度目の思春期であると認識する

甘酸っぱい思春期と熟しすぎた更年期の共通点とは?

更年期は「二度目の思春期」だと誰かが言った。
アラフィフの人間に対して「思春期」という言葉を当てはめるなんて、恥ずかしいというより、もはや図々しいとすら思っていた。
思春期というと、友情に悩み、恋に戸惑い、進路に勉強に部活に、自分の性格に自分の容姿に、親に兄弟に自分を取り巻くすべての環境に…不安と疑問と、時にとめどない絶望や根拠のない自信に振り回され、とにかく何だかわけの分からないものの渦中にいた感じだった。

あの時と、人生経験を重ねて図太くなった更年期が同じ?
って笑止千万!
とせせら笑っていたこともあったが、実際に更年期に入ると、その意味がよくわかる。

日々、心と体が変化して、これからどうなるのかと戸惑う、これはまさに思春期以来の出来事なのだ。
およそ30年、いや35年から40年ぶりの出来事だろうか。
この感覚は久しぶりすぎて、懐かしすぎる!

自分で自分をコントロールできない

思春期を過ぎてからは長い間、心は色々と揺れ動いたりもしたが、少なくとも体の状態は安定していた。
食べれば太るし、睡眠不足だと眠いし、気温が高ければ汗もかく。
だから、体調をコントロールするのも自分次第だった。

ところが、更年期ではそうはいかない。
普通にしていても疲れる、眠れない、汗をかく、目がかすむ、ある人は気分がすぐれず、ある人は髪の癖が強くなる。
まるで自分の体ではないよう。
これからどうなっていくのかもわからない
それは、初潮を迎え、体つきが変わっていき、これからどうなっていくのか分からない思春期の頃の戸惑いと同じだ。

訪れる様々な変化

思春期の頃は、友人との関係、進路や勉強のこと、自分の容姿や性格などなど悩み、様々な変化もあったが、それは50代も同じ。
人生の変換期で、更年期障害などの体の変化や家族との関係性、仕事とのかかわりなど、色々な出来事が生じる。

もちろん、人生のどのシーンでもそういったことは大なり小なり起こっているが、大人になってからも色々と心と体に変化はあったものの、年齢による変化をここまで如実に感じることはなかった。

ただ、「更年期」と「思春期」というのは、一般的には対義語にしか見えないので、あまり大声で言うのは控えたほうがよいかもしれない。

2-第二の思春期の先には老いが待つことを受け止める

老いに近づくが老人ではない更年期

思春期やそれ以降の人生と、更年期では大きく違うことが一つある。
「シニア」という文字が至近距離にある50代は、様々な出来事を乗り越えた先にあるのが「老い」だという現実を、常に突き付けられているのだ。
変化はつまり「老い」に向けたものなのだ。

自分自身はまだ、ちょっとした更年期障害(ホットフラッシュなど)以外、著しい体の老いは感じていない。
一言で言うと「元気」だ。どんなにへこんでも悲しくても辛くても、元気ならいろんなことができる。
「元気」という、これまでは当たり前だった事実は、これから先はとても貴重なことだ

老人に近づいていく。だが、まだ老人ではない。
この感覚は、確かにティーン時代の最後のあたりにも似ている。
大人に近づいていく。だが、まだ大人ではない。
懐かしいのにどこか違う感覚。

更年期はタイムトラベル

更年期は一種の「タイムトラベル」かもしれない。
忘れていたあの感覚、確かに一度は経験したあの状態、そこに再び巡り合う。

SFの中ではなく、自分の中にその不思議な経験がある。
50代あたりになると、誰もがタイムトラベル出来る。

3-更年期だから変わるのは当然だと受け止める

更年期は誰もが経験すること

更年期は変化、体だけではなく、周囲のこと、様々な環境も変わってくる時期だ。
これまでの人生とこれからの人生、それは少し違ったものになるだろう
50代は、流動する時間の中にいる。

それは、人生の後半を歩んでいこうとする人が、皆経験すること。
思春期の頃には、自分自身は変化の嵐の中で戸惑い、悩み、「皆経験することだから」と言われても、一人戸惑いや不安を抱えていた。
だが、更年期には「皆経験すること」であることを、ちゃんと知っている。
自分だけではない、みんなそうなのだと。

それは、自分が大人になったから…というのもあるが、ネットという便利な媒体のおかげでもある。
見ず知らずの同世代の人のブログを見て、「皆一緒なんだな」と知ることができる。
それに、どういうわけか、アラフィフの有名人たちが次々と「わたしの更年期」を赤裸々に話すようになっている。
よい時代になったものである。

逆らえないものに抗わない

本当は、日に日に老いていく自分自身を見たくなどない。
更年期障害で苦しみたくもない。(ホットフラッシュで本当に苦労しているのだ)

とはいえ、考えたところで事実はどうにもならないし、不老不死の真逆の「早老早死の薬」ができたとしても飲もうとは思わない。
逆らえないものに抗うような、あまり意味のないことはしたくないし考えたくもない。
そんなことを考えている時間がもったいない。
変わるのは当然、明日どんなことが訪れようと受け入れよう。