子供、老人、大人…人生をとりあえず3つに区切ってみる

50代の生き方
50代の時間
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本ブログの書き手(miona)は、このブログを書いている時点(2022年)では、50代前半である。

生まれてから50年余り、ここまで来るのに…長かった! いや、短かった!
とりあえず、本当に人は50年生きていたら50歳になるのだと、当たり前のことに対して、妙に感慨深くもなったりする。
他人はともかく、この自分が50歳だ。

自分だけはいつまでも年をとらないと思っていたのだが、そんなこともあるはずもなく…。
見た目、中身、生き方、社会的立場…すべてが「50代」となっており、若い頃と比較しては「年をとったな」と、現実から目をそらしたくもなる。

だが、50代から見える景色は、思っていたよりもずっと面白い
それは、意外な感覚であった。
子供でもない、老人でもない年代、右でも左でも真ん中でもない…「今」がリアルに感じられる時間。

50代は、来た道と行く道の、まさにど真ん中にいる感覚だ。

50代という「ど真ん中」の立場から、とりあえず人生を3つに区切ってみた

1-子供として生きる時間

子供時代とは、大人を待つ時間

人生の最初の区切りは、子供として生きる時間である。
大体、0歳から20歳前後の時間。

子供時代とは、大人を待つ時間だ。

生きていれば大人になるが、どんな大人になるかは人それぞれ。
少しでも理想に近い大人になろうと、皆その時々の時間を過ごす。
大人になるためにすべきことがたくさんあった

子供時代を振り返ってみると…
そこは、「濃霧色」の世界だった。
どちらに行っていいのかまるで分らなかった。
はっきりしていたのは、大人になりたくないことと、大人にならなくてはいけないことだけだった。
濃霧の切れ間から除くと、汚らしい大人の世界が見えた気がした。
けれど、立ち止まることは許されない。

そんな風に混沌とした時間を生きていたが、何とか大人になれた。

子供時代の目的は大人になること

大人になってわかったことは、子供時代の最大の目的は「大人になること」だったということだ。
とにかく、どんな形であっても生き抜くことで何とか大人へとたどり着く

そうすると、汚いだけだと思っていた大人の世界は、意外にも自分にとって生きやすい場所だった。
居場所がないと思っていたが、それは学校や家の中に居場所がないだけで、広い世界のどこかには、必ず自分の居場所があることを知れたから。


2-老人として生きる時間

老人時代とは、死を待つ時間

人生の最後の区切りは、老人として生きる時間
それは、死を待つ時間だ。

老人期は、「大人」が当たり前のようにできていた日常生活の中で、一つずつできないことが増えてくる。
体は思うように動かないだろうし、思考も今ほどキレがなくなり判断力も鈍る。
老いのスピードを出来るだけ遅くするために心がけていても、完全に老いを止めることはできない。

子供時代を「独り立ちしていない(大人の保護下にある)」とすれば、老人時代も同じだろう。
次第に自分一人では何もできなくなっていく。

60代? 90代? 老人時代の始まりは個人差が大きい

ただ、子供時代の年代が「ざっくり二十歳以下」であるのに対し、老人時代については個人差が非常に大きい
老人期の始まりは、ざっくりと60代前半から90代くらい…あまりにも範囲が広い。広すぎる。
80代や90代であっても、自分の手で稼いだり、誰かの手を借りずに生きていくことのできる間は、「老人」というカテゴリーに入れるべきではないかもしれない。

とはいえ、80代くらいになれば、元気な人でも急に風邪をこじらしたり、ちょっとした理由から、誰かの保護下に入る可能性が、「大人」よりはずっと高い、と言われているが。

自分自身が具体的に何歳になると「老人」になるのかは、今の段階ではわからない
その未来は近いかもしれないし、遠いかもしれない、ということだけは覚えておこう。

3-大人として生きる時間

大人時代は、子供と老人のあいだの時間

子供時代と老人時代の間にあるのが「大人時代」
「現役世代」と言われたりもするが、子供時代に培ってきたことを活かして、仕事をして社会貢献をして税金を納める時代。
いわゆる「国民の義務(勤労、納税、教育)」を主に受け持つのがこの時間だ。
冷静に考えると、仕事をしない限り、税金を納めたり教育を受けさせたりするのは難しいので、義務とは「勤労」の一つに集約される気もするが、「キリがいい」ので3つにしたのかもしれない。

勤労は国民の義務だが、勤労できるだけの体力や知力、遊ぶ余裕、そして人生の残された時間もたっぷりある時代。
これが「大人」として生きる時間だ。

大人時代は「老人時代」を待つ時間でもある

50代は、多くの人にとって「大人時代」。
そして、人によっては60代、70代、それ以上でも「大人」でいることもできる。

だが、50代からの大人は、「老人期」を待つ時間に入ったという感じもある。
自分にとっての老人期が「60代」だとすれば待ち時間は短く、「90代」だとすれば、待ち時間はかなりあるが…。

子供はともかく、「大人」「老人」の時間は、個人差がかなり大きい
自分としては、大人時間はできるだけ長く過ごしたいと思うが、それは日ごろからの心がけと、そして運命に任せるしかない。

どちらにしても、時間は残酷そうで実はマイルド。
老いは突然やってこない。大なり小なりの猶予期間をくれる。

今できること、老人期を待つ間にできることは、まだまだたくさんある