収入、支出、そして自分…身の丈暮らしをするための3つのこと

家計管理
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50代の今、お金にはそれほど困らない生活をしている。
それにはもちろん理由があるが、夫や自分の勤めている会社が大企業でお給料をたくさんもらえるとか、莫大な遺産が転がり込んできたとか、宝くじを当てたとか、そういったことではない。
今はやりの投資とか副業で稼いだという話でもない。
また、これはとても大切なことなので一応書いておくが「それほど困らない」だけで、「富豪」ではない

理由の一つは、自分の50年間を振り返って「アリかキリギリスか」で分けると、「アリ」だったこと。
誇れることがそれしかないくらい、「仕事」は頑張ってきた。

もう一つは「身の丈暮らし」をしてきた(している)こと。
極端な貧乏か極端な金持ちは別にして、誰にでも「身の丈暮らし」は大切だと思う。

「身の丈暮らし」とは何かについて3つまとめてみた。

1-身の丈に合った支出を考える

収入内で暮らす

年収が500万円で4人家族、という同じ条件であっても「家計が苦しい場合」と「ゆとりがある場合」がある
その違いは、支出
前者の場合は、「あればあるだけ使ってしまう」から「家計が苦しい」ことが多い。
だから、例えば収入が100万、200万と増えても、その分使うため、いつまでも苦しい状況になりがちだ。

まずは収入内で暮らすことが「身の丈暮らし」の大前提だ。

お金を使うのは悪いことではない

ただし、お金は基本的には消えてなくなるものではなく、必ず何かに形を変えている
生活費などの本当の必要経費をはじめ、コンビニのお菓子、どこかへ行くときのバス代、バッグや化粧品、テーマパークのフリーパス…などなど。
お金が何かに形を変える瞬間は、目に見えているはずなのになぜか見えない。
楽しみに姿を変えるときは、特にそう。
なぜなら、本来はお金を使うのは素敵なことで楽しいこと、のはずだから。

ただし、「身の丈」に合った使い方をしないと、そのうちお金が「身の丈」を超え、やがて身が食い尽くされてしまう

「身の丈で暮らす」とは、具体的には月収内(身の丈)で暮らすこと。
月収が少なくボーナスが多い場合は、なかなかバランスがとりにくいと思うが、少なくとも、「基礎生活費」と「ゆとり生活費」は月収を超えないことが、「身の丈」だと思う。

けれど、その代わり「ボーナスが出たら何かに使おう」と考えて暮らすのは、とても楽しみでわくわくするだろう…(多分)

実は私は、ボーナスというものをほとんどもらったことがない。
会社勤めをしていた独身時代に「給料の2か月分(だったと思う)」をもらったが、結婚してからは夫も自分もボーナスは0である。
だから、月収を使いきるという危険な行為ができず、だからこそ「身の丈暮らし」の癖が身についたのかもしれない。

2-身の丈に合った収入を考える

身の丈暮らしとは「自分らしい人生」

収入はあればあるほど良い。そう、年収は1千万円くらいはあったほうがよい。
できればもっとあればよい。そう、2千万、3千万、1億…
確かにそれは事実のようなもので、少なすぎる収入は、少し考えたほうがよい。

とはいえ「多すぎる」収入があったほうがよいか、というと、そうではない。
そもそも「多すぎる収入」は、学生時代から今に至るまで、様々な場面で努力をした結果得られるもの
例えば、勉強して良い高校に入り、良い大学に進み、収入の高い会社に入る。
または、何らかの得意分野を伸ばしていく。
もしくは、「玉の輿」を狙うために必死で出会いを求めて自分を磨く…というのも努力のうち。

その努力をしてこなかった自分には、そもそも「多すぎる収入」の権利がない。
また、残業するとか副業するといった、収入を増やす王道の方法はあるが、働くだけの人生は「身の丈」に合っていない。

自分の身の丈に合った人生は「お金をほどほど頑張って稼ぎ、ほどほど稼いだ中から楽しく使っていく」こと。
それが、身の丈。
身の丈とは「自分らしい暮らし」だ。

収入が先か、目的が先か 🥚🐓

収入の考え方は2通りある。

目的があって収入を確保する

マイホームが欲しい、年に1回海外旅行がしたい、子供を私立の小学校に行かせたい、趣味にもっとお金を使いたい…といった、人それぞれの人生の目的があって、それに合わせて収入を確保する方法

これは理想的な考え方だが、それなりの努力や才能が必要なので、現実的ではないかもしれない。

ただ、そういう視点も持っていたい。
「理想の暮らしに必要なお金」とはいくらなのだろう?
まずは現実の収入のことは忘れて、理想を描いてみる。

収入があって目的を決める

もう一つは、自分の「身の丈に合った収入」があり、それに生活を合わせていく方法
収入はなかなか思い通りにならないことも多いので、大多数の人はこれを目指していくことになる。
つまりは「収入内で自分が本当にしたい生活をすること」。

収入はいくらくらいだから、こんな生活までならできるだろうと考えてみる。
逆に「こんなことにはお金を使う必要はない」ということも考えてみる。

例えば、コートを購入しようと思った時に、「身の丈(着丈ではない)」とは何円のことなのか。
コートなどは、数千円のUNIQLO商品から、30万円のモンクレール、それ以上、それ以下、その中間など実に幅広い値段設定だが、自分の収入だといくらのものまでが買えるのか。

身の丈とは、自分の「相場」のこと。
相場が高すぎても安すぎても、自分らしい生活にならない。
それが分かっていれば、自分にとって必要ないものにお金を払ったり、逆やたらに貯金ばかりしたりということにならなくなる。

けれど、収入が少なくても「どうしてもコートだけは高価なものが欲しい」なら、「身の丈」を超えてもよし。
コート以外の何かが身の丈以下の生活を送ればよい。

収入と目的を考えながらバランスをとっていくこと。
意外と奥深い「身の丈」だが、自分が「本当にしたい生活」を見つめてみれば、少しずつ分かってくる。

3-お金があっても身の丈暮らし

お金に苦労していない生活の実態

朝はTWGの紅茶で目覚め、昼はブランドファッションに身を包んでステーキランチ、夜は懐石料理を味わった後は、家政婦が掃除してくれたお部屋でホームシアター…
とかいうのが、若い頃に思い描いた「ゆとりがある生活」だったが、実際には、お金があってもそれまでと大して変わることない普通の家に住み、普通のものを持ち、普通の日々を送っている。

お金があってもなくても、まずは「身の丈に合った暮らし」

キャベツ1個で1週間分…のような料理は作らなくても、買ったキャベツは途中で廃棄せず最後までちゃんと使ったり、電気もこまめに消したり水を出しっぱなしにしたりしないようにしている。

無駄だと思うものにはお金を使わないこと、それは、自分にとっては「節約」ではない。
「キャベツを使いこなせずじゃんじゃん捨てる」ような暮らしを望んではいないからだ。

そんな暮らしは自分の価値観とはずれている。
キャベツを捨てても電気代を過剰に払っても、それは自分の生活を満たしてはくれず、楽しくもないうえに、罪悪感しかもたらさない。

車はレクサス、家は豪華素材をふんだんに使った豪邸、服はシャネルやディオール、旅行はファーストクラス、のような生活は、しようと思えばできるかもしれないが、それは「身の丈に」合っていない。
自分の「身の丈」に合った暮らしが、一番自分を愛せる。

月に30万で暮らしてみた

かつて貧乏暮らしを経験したことがあるが、その後の数年間は「割と平均的な暮らし」だった時代もある。
具体的には、月収20万~30万円の生活だ。(ボーナスはないので単純に月収を12倍すれば年収になる。年収は手取り200~300万ちょっとなので、平均以下かもしれないが)

その時にわかったのが、「月に20~30万あれば、贅沢はできなくても何とかやっていける」ということだった。
逆に言うと、20万以下だと「何とかやっていく」のは、少し工夫が必要かもしれない。

月収20万円当時の家計簿は以下の通り。

項目金額
家賃75,000円
水道光熱費15,000円
食費、日用品40,000円
通信費、交通費、その他雑費20,000円
被服費、小遣いなど20,000円
他(税金、保険など)30,000円
合計180,000円
月収20万円の家計簿(2人世帯)

2万足りないが、若干の贅沢や不意の出費、もしくは貯金など、その時の状況に合わせていた。

ちなみにこれは世帯人数が2人の場合なので、例えば4人家族だと、やはり月にかかる費用はもう少し増加するだろう。

また30万の予算だと、これにあと12万円も追加できる
さらにボーナスなどあれば、貯金や贅沢、家電の買い替えなど、色々なことに対応できる。

実は、当時からかなり収入が増えた今も、上記の「20万円家計」と基本的な支出は大きく変わっていない。
ただ、これまでせっかく頑張ってきた自分へのご褒美として、意図的に「贅沢」はするようにしている。

贅沢は「何となくダラダラ」ではなく、「これは贅沢なお金の使い方だ!」と自分で意識しながら行っている。
コンビニでジャイアントコーンのアイスを買う時も、Amazon unlimitedで月々980円払って電子書籍を読むときも、「贅沢だなあ」と思っている(貧乏時代には絶対に出来なかったことだ)。

だから、実際の贅沢以上の「贅沢感」も味わえる
これも「身の丈」感覚の一つだ。