【老後】50代から老人期の風景を想像してみる

生きる
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50代になると、つい過去を振り返って後悔だとか達成感だとかを感じたりもしたくなるが、人生はまだまだ続く。
そして、ある程度進むとは「老年期」という時間にたどり着く

大人になるために何をすればよいのか、子供の頃はずっと考え、行動してきた。勉強したり何かを身につけたり。
大人として何をすればよいのか、大人になってからはずっと考え、行動してきた。お金を稼いだり家庭を築いたり。
すると次は、老人になるために何をすべきか考える時間だ。

「シワ」「シミ」「たるみ」は何となくわかるが「ハリ」とはどんな状態なのか、本気でわからなかった十代の頃から数十年、今は「老い」というのがそういうことだけではないということも、なんとなくわかってきている。
何となくだ。
実際にはその時にならないとわからないことも多いだろう。

けれども、今少し考えてみたい。
90歳へタイムトリップしたら見えるかもしれない風景を

老人期の毎日

90歳の自分の日々は…

目が覚めたら私は90歳、だとしたら…。

それは考えたくない自分の将来の姿だが、非常に現実的な未来かもしれない。

90歳の自分にできることは…

90歳になって体の自由が多少利かなくなったら、観たいと思いながらもなかなか観れなかった映画やドラマを色々楽しみたいと思っていたが、果たしてそんなささやかな楽しみに熱意は持てるのだろうか

90歳になっても映画や音楽に感動したいし、たまにはお出かけしたいし、おしゃれしたりブログ書いたりおいしいものを食べて、沢山笑いたいと思っていたが、そんなことに費やす熱意という感覚を、どこかに落としてしまっていないだろうか。

簡単な食事を作ったり(今でも簡単だが)、トイレ掃除をしたりといった、今なら難なくできる日常のあれこれを、果たして90歳になったらできるのだろうか。

孤独には慣れているつもりだが、それは一人でもできることが沢山ある今だから言えることであって、年をとったら同じように言えるだろうか。

老人期の気持ち

90歳、私は何を考えているのだろう。

後悔するだろうか。
過去のことばかり考えているだろうか。
あの頃が懐かしいと振り返ってみたりしているだろうか。
それなりに良い人生だったと思っているだろうか。

何も考えず、ご飯を楽しみにするだけの日々になっているだろうか。
ご飯の内容よりも、ただ空腹を満たすという、本能による幸せのみを感じているだろうか。

本は読めず、映画のストーリーも理解できなくても、美しい光景に心を動かさることもあるだろうか。

わんこを見て笑顔になるだろうか。
…それはなるかな? 愛犬に似た、白い小さなわんこならなおさら。

ふとしたきっかけで、何か新しいことに挑戦する気になっているだろうか。
自分の時間を好きでいるだろうか。
幸福だと感じているだろうか。

老いは寂しいと思うかもしれない。
いや、寂しいとすら感じていないかもしれない。

どう生きてきたか、これからどう生きるか、という自分に対する問いも、90年という時間の後には無意味になっているかもしれない。
あるのはただ、今、のみ
ただ…それは今でもそうだ。

老人期の…未知

今考えるべきことはあまりない

90歳の…何だろうな。
90歳の自分は、確かに90年という歳月を生きている…それだけしかわからない

90歳の自分について、今この段階で考えたところであまり意味はない。
そもそも90歳まで生きているかどうかも分からない。
結論はシンプル。なるようにしか、ならない
なるようになるのさケセラセラ! 私を愛せるのは私だけ、なら。

老人期は個人差が大きすぎるし、勉強や仕事のように、努力や心掛けだけではどうにもならないことも多い
老人が記すエッセイだとかを読んでも、実はあまりためにならない。
老化については参考にはなるが、エッセイを記せるほどの気力や理解力などがあるのは、やはりそれなりの人々だからだ。

今考えるべきことは、今できることだけ

とはいえ、今できること、考えておけることもある。
今考えるべきことは、今できること。
とても現実的ではあるが、お金と健康のこと
年をとれば今ほどの収入がなくなり、体も弱っていく、ということについては、ほぼ個人差はない。
裏を返せば、今すぐにでも対策をとれる。
お金と健康、それだけを確保していれば、後は「考えても無駄」なことばかり。

老いのために何もしない方が、むしろよいことかもしれない。
今の自分が、自分らしく納得のいく人生を歩むことだけを目標にするしかない。
それが最大の老い支度ではないか、と50代の私は考える。

だから、「考えても仕方ないこと」はいつまでも考えないようにしよう。
今を生きることに目を向けよう。
それは、50代でも90代でも同じだ。