人類は「節約家」と「浪費家」の二つに分けられる…
という分類の仕方は、かなり乱暴だが、とりあえずそういうことにしておく。
まずは「節約家」。
彼らは、主婦向けの記事で称賛され、推奨され、模範とされることがある。
一方、「大変そう」「人生がつまらなさそう」「自分には無理」と、冷たい目を向けられることもある。
実際のところ、「節約家」というのは「行動」であると同時に「思考」であるとも思うし、「節約家」から学ぶことは多いので、今回は「節約家に学ぶお金の使い方3選」をまとめてみた。
ちなみにmionaは分類上「節約家」である。
節約とは「やりくり」である
節約とは「貧乏な人がする行為」ではない
節約…
という言葉は、なんともわびしい響きを持っている、気がする。
節約とはすなわち、お金を使わないこと。
節約とはすなわち、お金を使えないこと。
節約とはすなわち、貧乏生活を送ること。
というイメージである。
けれど、節約の意味を調べてみると「無駄を省いて切り詰めること」と書かれている。
つまり「貧乏な人」がすること、ではない。
「貧乏な人」は、無駄を省いて切り詰めながら生活することが多いから、結果的には「貧乏な人」がする傾向にはあるが、「貧乏な人」でも「ムダ遣いして暮らす」場合もあるし、「お金持ち」でも「ムダ遣いしない」人もいる。
「貧乏な人」がすることではなく、単に「無駄を省いて切り詰める」という行為であること、ここを意識することがものすごく大事だ。
節約とは「やりくり」
もしも、悪いことをしてつかまっても、5億円の保釈金で釈放してもらえるほどの資産は持っていない…。
マンションを買うときに、価格が「1000万円高い部屋」と「1000万円低い部屋」で悩み、夜も眠れなくなる…。
その程度の「一般の人」は、日々の生活で湯水のようにお金を使って暮らす、なんてことは、恐らく永遠にできやしない。
だが、それは資産家でも同じだ。
資産家であっても、湯水のように使っていたら、いつしかお金はなくなるだろう。
だから、(上記のような)ちょっと凡人にはイメージできないほどのお金持ち以外は「節約」を考えたほうがよいと思う。
といっても、お金をなるべく使わないように家計を切り詰めるということではない。
節約とは、ムダを省くための「工夫」、つまりは「やりくり」のことだ。
節約とはムダを省くことである
お金は魔法の杖ではない
何かを買う時、それが手に入ったら魔法のようにいろんなことが解決すると思うことがある。
化粧品を買ったらキレイになれるとか、便利家電を買ったら家事が楽になるとか、ふかふかのお布団を買ったらぐっすり眠れるとか。
確かにお買い物に成功したら、魔法のように自分や暮らしが変わっていくこともある。
けれど、そうではないことも多々ある。
化粧品は使い方を間違えるとどんなにお金をかけても効果が得られないし、お金をかけなくても正しい使い方をすれば効果が得られることもある。
便利家電は使いこなせないことや、数回しか使わないこともある。
ぐっすり眠れないのは、お布団のせいではないこともある。
お金は生活を豊かにしてくれるし、お金で解決できることも多々あるが、「何もかもお金さえあれば何とかなる」わけではない。
節約家の人は、お金を使う時、お財布を出すとき、Webサイトの「購入ボタン」をポチるとき、いやその前にまず行うことがある。
それは、「考える」こと。
・これは自分の生活に本当に必要か
・すでに持っているものではないか
・使い続けられるのか
・使いこなせるのか
・もしかしたら今あるもので代用できないか
・買うことによってのデメリット(家が狭くなる、電気代が上がる)などはないか
・「必要」だと思っているだけで、単に「欲しい」だけではないか
お金を使って自分は何をしたいのか。
それを考えてみる。
お金は今ある悩みをすべて解決する摩耗の杖ではないし、自分の人生の主役でもない。
自分とお金の関係は、あくまで主役(自分)と、それを支える助っ人(お金)でしかない。
何も考えないと、自分がお金を支配するはずなのに、お金に自分が支配されることになってしまう。
やがてゴミになる日のことを考える
食費を減らそうと思ったときに、単純に「安い食材を買う」「調理法を工夫してボリュームを出す」といったことを考えることがある。
例えば、「1日1000円レシピ」。
ーパン粉をいっぱいつけて油で揚げることで、満腹感をもたらす
ー材料を少なめにして、濃い目の味付けでごまかす
ー普段は食べない(というか、おいしくはない。ただし栄養はある)部分を使って調理する
などだ。
このような食生活が悪いといいたいのではない。
実際、自分もこのようなテクニックを使って、食費に1000円もかけずに暮らしていたことがあるが、本当に「食べ物」として血肉となるのであれば、費用を削りすぎるのは考え物だ。
食費を「下げる」前にすべきこと
まずすべきことは、賞味期限切れとか食べ残しなどの「食品ロス」を発生させないこと。
「食品ロス」とは、貴重な「食費」を使って「ゴミ(廃棄食材)」を買うことだから、これは最も避けたいことだ。
ゴミ(食べない食品)のために、収納スペースをとって、そのための家賃や固定資産税を払う。そして管理ができず家が散らかる。
ゴミ(食べない食品)のために、わざわざスーパーに行ってお金を払い、玄関まで重い荷物を抱えて帰る。そして腰痛になり整体に通う。
あまりにも情けなくてバカバカしい話だ。
スーパーで食材を手に取るときのわくわく感をどうしても体験したくて、そのためにはお金を払ったり時間を使ったりしたものを、ゴミとして地球環境に悪影響を与えたり、汚部屋や腰痛で苦しんでもいい、と強い信条がある場合は別だが。
食品ロス(食費)を減らすには
食品ロスをなくす方法は、買ったものはできるだけ食べることしかない。例えば、
- 収納スペースを小さめにして、残った食材が一目で分かるようにする
- 買った食材を書いてキッチンの壁に貼っておく(それを見ながら献立も考えられるので便利)
- 作りすぎて余っても、捨てずに翌日食べる
- まとめ買いしたら極力冷凍保存などで長期保存ができるようにする
- 家にある半端な量の食材を使いまわす術を覚える(簡単にできるレシピをいくつかストックしておく)
100%食材を使い切ることはできないこともあるが、ゴミの量はかなり少なくなる。
ついでにゴミ袋も小さく軽くなるので、ゴミの日も楽だ。
捨てるのにもお金と労力がかかる。
ゴミの量はムダの量。
実際、お金持ちはゴミが少なく、お金のない人はゴミが多いという話も聞く。
ゴミが少ないということは、ムダなものを家庭内に入れないということなので、買い物をしたり何かをもらうときに「この品物がゴミになる日」をイメージすると、ムダなものも減らせるかもしれない。
節約は頭を使わないで行う
節約は考えないで実施できることを
節約は大切なことなので実施した方がよい。
が、毎日毎日節約のことばかり考えると、何のために生きているかわからなくなる。
貴重な24時間は、節約以外のことを考えて暮らさないと心にも体にも悪い…が、節約はしなきゃいけない。
となると…生活の中で「節約の仕組み」を作って「毎日考えずに節約する」ことしかない。
例えば
- エコ家電にする(特に冷蔵庫など消費電力が大きいものは効果抜群)→買うだけ
- エアコンは最も効率よく室温を快適にできる角度や強さに設定する→設定するだけ
- 使わない電化製品のコンセントを抜く→10~30分程度家じゅうのコンセントをチェックするだけ
- 一駅歩けばバス代が下がる場合は「健康のため」に歩く→毎日の習慣に
- クリーニング代がかかる服ではなく、家で洗える服を買う→服のタグを見て買うだけ
「お金を使わない習慣」は、調べれば色々な方法がある。
その中から「すぐにできること」「習慣にしていくこと」を考えて自分のペースでやってみる。
「無駄なものを買いそう」なお店にはいかない
「節約家」であっても、やはり多少の物欲は持っている。
ステキなもの、便利そうなもの、かわいいもの、流行っているもの…それらを見かけたら「要るか要らないか」という判断はどこかに行ってしまい、「欲しい」という感情で脳が侵食されていくこともある。
けれど、節約家はそういう気持ちが出てくることも、あらかじめ計算している。
そして、その気持ちを抑えるための行動をとる。
例えば、ノーマネーデー(お金を1円も使わない日)を作ったり、買い物の回数を減らしたり、「無駄なものを買いそう」なお店には極力行かない、といった行動だ。
「100均」と「コンビニ」に気をつけよう
100均やコンビニは、お店の総称ではっきりと示されているが、そこで販売されているのは、商品ではなく、100円のもの(最近は100円ではないものも多いが)や、便利(コンビニエンス)だ。
もちろん、100均やコンビニに行く目的は、「気に入った商品があるから」ということもあるので、それらは「商品」として購入することもある。
だが、それだけで終わらないのが100均やコンビニの闇でもある。
ここには「ついで買い」という行動を促す、あらゆる仕掛けがされている。
100均は、100のもの(最近は100円以上のものも増えているが)。
コンビニは、便利なもの(コンビニならではの特別な商品も売られているが)。
それを求めることが、それらのお店に行く目的であり、「必要なもの」を買う場所ではないことを、節約家は知っている。(必要なものというのは人それぞれなので、それらのお店にあるものがすべての人にとって「不要」という意味ではない)
また、他のお店に比べると価格が高いこともあるので、まずは「100均やコンビニはあくまでレジャーのようなもの(楽しむにはよいが、生活の中心ではない)」だと認識してみる。