【終活】スタートするなら50代がベスト! 老後と死後の準備をする

珈琲 生きる
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終活、始めるなら今でしょ!

終活とは

「終活」とは、終(死)に向けた準備のこと。若者なら「シュウカツ」といえば「就活(就職活動)以外にはありえないだろうが、悲しいかな、50代にとってのシュウカツは「終活」である。いや、50代、60代でも就活している人も多い昨今、必ずしもそうとは限らないかもしれないし、そもそも「終活」にはまだ早い、と考えている人も多いだろう。

だが、終活に早いも遅いもないのだ。死とは約束された確実な未来。そして、その未来はいつ来るのかはわからない。

若い頃とは「死」に対する印象が違う

人はいつ死を迎えるかわからないのだから、終活はいつ始めてもよいはずだ。
だが、20代に終活をしたとしても、やはり若者は頭の中では老いや死を理解していても、どうしても実感しにくいものである。

若い頃には死をあまり意識することはなかったのは、未来とは未来でしかなかったからかもしれない。未来のために仕事し、お金を稼ぎ、生活する。思い描く未来とは、間違っても「死」ではなかったし、老いでもなかった

多分、それが「若さ」というものの正体だったのだ…と50歳を過ぎると何となくわかってくる。
「老い」はもう未来の出来事でも何でもなく、まさに今のこと、そしてその先には「死」という未来があること。

年をとってから終活!はとっても面倒(らしい)

50代になると定年とやらもチラつき、年金がある程度明確になり、シニアのための制度も他人ごとではなくなってくる。

とはいえ、老後は身近になってきたとはいえ、死は老後の先にある。終活を考えるとしたら、老後(それも老後の後半)になってからでもよいのでは、先延ばしにしたくもなる。
50代は終活を始めるにはまだ早い、という考え方もあるかもしれない。

けれど、やはり終活は思い立ったらスタートした方がよいと思う。
80歳くらいになって「終活でもしようかな」と思っても、本当にきちんと実施できるのだろうか。
これまで人生で長くやってきたこと(料理だったり、読書だったり、将棋だったり)は、そのままやっていけるかもしれないが、80歳になって新たに「終活」なんて面倒なことができるのか

ましてや、この面倒くさがりで適当な性格の自分が、年をとってから終活という大事業を出来るのか

今、私は張り切って断捨離を進めているのだが、今はまだ断捨離すらできない高齢者の気持ちが理解できない。
毎日少しずつやればいいのに。何らかの基準を作って、その基準に従って物を捨てればいいのに。
住居が不便なら、老人ホームに入るなり便利なところに引越せばいいのに。

と簡単に考えてしまう。
(ちなみに、先ほどの叔母の家庭は結構裕福なので、問題はお金ではないと思う)

でも、出来ないのだ。なぜなら年をとっているから。

私自身も高齢者になったらきっと思うだろう。
50代はやはり、若かったのだ」と。

50代の終活って何する?

終活は大人の人生設計だと思えばいい

とはいえ、50代の今は、老後の自分がどうなっているのかわからないので、終活と言っても何をすべきかわからない、というのが正直なところ。
親たちはどうなっているのか。自分の健康はどうなのか。家族は。住処は。
今、一生懸命終活して自分の最期をプランニングしても、その通りになる可能性は…恐らくかなり低い

だが、別に国の大事業を行うわけではないのだ。プランが大幅に変わっても別に構わない(国の大事業でも計画変更はあり得るし)。
何らかの事情が生じ、考えていた通りに行かなくなったり、気が変わったりしたら、プランを変更すればよいだけだ。

それに「終活」と考えると、「老後」「介護」そして「死」と、何だか暗くなってしまうが、ちょっとした「人生設計」の一つ
50代になるとある程度の人生は通過し、若い頃思い描いた暮らしと近かったり、まるで離れていたりするが、ここを起点に改めて設計し直す、という感覚だ。

50代だとまだまだ老後以外にも、「親の介護」「子供のこと」「家のローンなど」「定年後の働き方」などなど、考えることややることはたくさんある。
終活どころではないかもしれないが、「これからの人生」をより満足できるものにするためにも、終活、いや人生設計をやったらよいのでは、と思う。

エンディングノートで死後のことをお願いしよう

死後のことについて書くものとして、まずはエンディングノートがある。
エンディングノートとは、「自分が意思を伝えられない状態」あるいは「死んだ場合」に、自分の意思を文字で伝えるためのものだ。
様々なエンディングノートが販売されており、市販のノートを使えば、何を書けばよいかもわかるので便利である。

もちろん普通のノートに書く、パソコンで作る、あるいは動画に撮る、という方法でもOK。
だが、パソコン等を使った場合、第三者が「なりすます」ことができるため、「自分が残した」とはっきりわかるようにした方がよい、という。そうなると、動画が最も確実に自分の思いを伝えられるかもしれないが。

内容として具体的には、財産のこと、ペットのこと、葬儀やお墓のことなどに対する希望、また家族や友人への手紙を書くこともある。
また、葬儀について書く欄があるが、出来れば遺影も指定しておきたい。自分が気に入っている写真を飾ってもらいたいものだ。

エンディングノートで老後について意思表示しよう

死後のことについては「残された人が困らないように」という気持ちで書くものである。死んでしまった自分には関係ない話だ。
ここでは「死後の世界」については触れないが、死んでしまったら「現世」は自分と無関係になる。残された人やペットのことを考えると「死んでも死にきれない」と思うかもしれないが、実際にはちゃんと死ぬ。
だから、人の迷惑を顧みなければ、別に何も書き残しておく必要はない

自分自身がむしろ困るのは「死前」である
事故などで突然命を失う人もいるが、死の前に病気や老化を経験する人の方が圧倒的に多い。
要するに、死ぬ前に経験する医療や介護の希望についてエンディングノートに書いておくことは、死後の希望を書くことと同じくらい(いや、それ以上に)大切だ。

自分の意識がはっきりしている場合は問題ないが、意思を伝えられなくなると、家族も病院も何をすべきなのか判断に迷う。治療の方針を尋ねられて、本人ではなく誰か(多くは家族)が判断する。
そうなると、どうすべきか本当に困るのだ。

例え意思表示ができなくなっても、自分らしい人生を送れるよう、思いはきちんと文字でおきたい。

身の回りをスッキリさせていこう

自分の所持品に関しては、もしもモノを残したまま死んでしまっても、最終的に誰かが何とかしてくれる。ちゃんと遺品を処分してくれる業者もいるのだし。
ただ、業者は勝手に荷物を捨てるわけではないので、誰か(多くの場合家族)が手続き等をとる。
それは何だか申し訳ないので、死ぬまでには不要なものは処分しておこう、というのが、終活の断捨離の理由の一つ

だが、それ以上に断捨離が大事だと思う理由は、誰かのためでなくて自分のために断捨離をすること

家の中に不要なものは少なく、必要なものと大切なものだけがある暮らしはとても快適だ。高齢になって、若い頃は何でもなかったことも億劫に感じ始める時、やはりすっきりした家に暮らしたい。
もちろん、今現在でも。
年をとると、前述の叔母のように物を捨てることすらできなくなることもあるのだ。

断捨離は「しよう」と思ったその日から、少しずつ始めた方がよい。
私はもうかれこれ10年以上断捨離をしているが、実はこれは「何周目か」の断捨離になる。最初は捨てられなかったものたちを、時が経つにつれて手放すことができるようになる。
終活のための断捨離は長期戦でやっていきたい。

遺言書を残しておいた方がよい場合もある

エンディングノートは法的な効力はないので、特に財産に関して何か不安なことがあれば「遺言書」を残しておくほうがよい。
子供がいる場合、家族親族の仲が悪くない場合はよいが、子供がいない、再婚している、財産に土地が含まれる、家族や親族仲が悪いといった場合は、遺言書があったほうがベター

遺言書は「チラシの裏」に書いたものも有効だとされている。
ただし、書き方にルールがあるので、ちゃんと「使える」遺言書を残しておきたい
また、遺言書は何度も書き直しができるので、一年に1回くらいは見直して、今の状況にあった遺言書を残しておきたい。

年金はいつからもらったらよい?

これまで長年頑張ってきた人が、労働による収入を得ることができなくなっても生活できるようにしてもらえる年金のシステム。
年金に関しては、年々現役世帯の負担が増え、(今の)高齢者が優遇されていると言われたり、システムそのものが変化していく可能性も十分あるが、そういうことを考えるだけでは何の解決にもならないので、ここでは「現状の年金システム」を基準に考えていきたい。

年金はいつもらう?

年金は、基本的には「65歳」になったらもらうことができる。だが、60歳に繰り上げたり、65歳~75歳までの任意の時期に繰り下げたりしてもらうことも可能である。
年金は早めにもらえば減少し、遅めにもらえば「利子」のような形で増額して支給される。

いっそ「65歳の全国民は年金を受給すること」となっていたら何も悩まないが、受給期間に15年も開きがあるために「私はいつもらったらよいのだろう」と悩む人が多い。
あれこれと調べると「繰り上げが得」「繰り下げの方がよい」などとあらゆる情報が出てきて混乱するが、年金対策は人それぞれで正解がない

例えば、年金対策を考える上で必要な項目として、以下のようなものがある。

  • そもそも自分の年金はいくらか(50歳以上の人は年金定期便でわかる)
    • かなり少ない人と、企業年金等を含めると相当もらえる人では対策が異なる。
  • 資産(貯金、投資額等)はいくらあるか
    • 年金がほぼなくても資産が3億などあるとか、年金は多い方だが貯金がほぼないとか(極端な例だが)
  • 死ぬまでいくら使うか(支出)
    • 支出には個人差があり、特に住居について、老後は「家族と同居」とか「老人ホームに入居」といった状況によって、大きく変わってくる。
  • いつまで働くか
    • 働けばその分資産も増えるが、必ずしも希望の年齢まで希望の収入があるとは限らない。
  • 自分はいつまで生きるのか
    • 誰にもわからない…が、一つの指標はあるので後述。

自分はいつまで生きるのか(年金をもらうのか)

正直、これさえわかれば老後資金対策は簡単だ。92歳までなら92歳までに使い切る、あるいは子や孫に残す程度の金額から計算できる。66歳であれば、年金を繰り上げてもらう方がよいに決まっている。
だが、実際のところは誰にもわからない。
そこで、いくつかの視点から自分の寿命を設定してみる。

最頻値から

老後について考える時、「平均寿命」が一つの目安になるが、この寿命は0歳児まで含めたすべての国民の平均。
実際に亡くなる年齢として「最頻値」が参考になるだろう。最頻値とはこの場合「死亡する人が最も多い年齢」のこと。2020年の内閣府データによると、男性は85~91歳前後、女性は89歳~97歳前後で亡くなる人が多い。
もしも自分が普通の人生を歩んできたと思っていたら、この辺りで亡くなる確率が高い、ともいえる(もちろん、必ずしもそうではないが)。

周囲の人から

実際に自分の周りでは何歳の人が亡くなっているのか。見回してみると、それも一つの参考になる。
人は知らず知らずのうちに「自分と似た環境」の人と接している。家庭環境、学歴、職業…家庭に関しては遺伝の影響も多いが、学歴は日ごろの行動パターンにつながったり、職業だとやはり短命になりやすい職業もある。
そういえば、自分の周りは60代、70代で亡くなる人って少ないな…など、何となく「高齢者の現状」が見えてくる

と、書いては見たが、私自身の周囲には85歳を過ぎてもゴルフしたり旅行したりと90歳を過ぎても元気な人が多いのだが、実母と祖父というとても身近な人たちが79歳、78歳で亡くなっている。
実母の場合は認知症に始まる身体の全ての機能の低下、祖父は事故だったので、身内の中では特殊なのだが。
なので、「70代を生き抜いたら80代はある程度元気(生きている)だな」というのが、周囲を見渡した時の印象だ。

年金をもらう時期の決め方

年金は、もらう時期によって金額が変わり、65歳を起点に、60歳以上65歳未満だと0.4%/月の減額、65歳以上だと0.7%/月の増額になる。
例えば本来(65歳時点で)10万円もらうはずの人が、60歳でもらうと(-0.4%×60カ月=76,000円 ※0.76倍)、75歳でもらうと(0.7%×120カ月 ※1.84倍)=184,000円をもらえる(保険料等控除前)。
これを「死ぬまでにもらえる年金総額」の視点で見ると、84歳以上生きなければ「繰り上げの勝ち」「84歳以上生きれば繰り下げの勝ち」となる。

ただし、寿命は誰にもわからないし、死ぬ直前に「年金をいくらもらったから勝ち組」「もらえなかったから負け組」と考えるだろうか。
それよりも、それまでの生活を安心して楽しく過ごせた方が良い気がする。

そもそも、年金は「たくさんもらったら勝ち」というものではなく「万が一100歳まで生きてしまった時のリスク」のための保障のようなものだ。
例えば、上記の例だと100歳時点での繰上げ受給者の年金額(月)は「37,392円」「繰り下げ受給者は「57,408円」となる。年間でおよそ24万円、繰下げ受給者が多くもらえる…死ぬまで。

なので、私の個人的な持論になるのだが、総額ではなく、所持している貯金等の資産を含め、「老後に毎月いくらで生活したいか(できるか)」でもらう時期を決めるしかないと思う。

仮に75歳まで年金を繰上げ、ようやく受給できるぞ!と思ったら二か月後に死去…ということになったとしても、死んだ自分が「年金もっと早くもらっておけばよかった」とは考えることはない(死後の世界についてはここでは触れない)