【50代】未来にいた3人の自分について考えてみる

生きる
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私は、カナダに住んでいて、もちろん英語もペラペラで、小説家で、初恋の人と結ばれて男の子と女の子の子供がいて、部屋を素敵なインテリアで整え、凝ったおいしい料理を作り、年に3回くらいはいろんな国を旅していて、気の合う友人に恵まれ、体も心も柔らかくして、傍らにはかわいい子犬もいる…。

これは、若い頃思い描いていた自分の姿だ。
実際の自分は…

仕事は頑張ってきたが、それは小説家ではなく、初恋の人どころか子供もいないため後世に何も残していない。北欧、南欧、南米、アジア…訪れたい国のリストは一向に減らない。友人も限られた人だけ。料理は義務だけでやっているし、インテリアというより断捨離して整えた部屋で、たまにヨガをやっても体も柔らかくならないし、英語もペラペラにならない。

現実とは、理想通りにはいかないものだ。

しかし、思い描いた未来の中に自分がいたら…
今この場所ではなく、別の世界線が存在していたとしたら…
私は幸せな50代になっていただろうか。

未来にいたかもしれない3人の自分について考えてみた

描いた未来の中にいたとしたら

私は、カナダに住んでいて…(冒頭の文章を参照)。
ぼんやりと描いていた若いころの夢、その通りの人生を歩いている
それは、誰からも羨まれ、何よりかつての自分自身が願った暮らしだった…
多分、それは幸せなことなのだ

けれど…

カナダの生活は自分には合わず、書く小説にはアンチも多く、そもそも人見知りなので英語を話す機会もあまりなく、初恋の旦那様の浮気に悩まされ、男の子と女の子は反抗ばかり、素敵なインテリアで整えたはずの部屋の居心地も悪くて、凝った料理も家族に喜ばれず、海外旅行に行き飽きて…
思い通りの未来を生きていた私は、「幸せ」だとは思えなくなっていた…

てなことも、あったかもしれない。
もしも、特に何の大きな心配事もなくても、その状況を「何となく幸せとは感じられない」と思っていたりするかもしれない。

思い描いた未来を生きた自分は、今よりも本当に幸せだったか、それとも不幸だったか、それは決してわからない。

描いた未来とは真逆の世界線にいたら…

一方で、「よくない未来」も描いていた

カナダにに住んでいないのはよいとして…まあ、英語やら小説家やらもおいといて、インテリアや料理もどうでもいいとして…
未婚か、もしくは好きではない相手と結婚して、仕事でのストレスは半端なく、友達も愛犬もいなく、とにかく一言で言って「暗い」生活を送っている未来

実際、十代の頃の延長でずっと生きていたら、そうなっている可能性の方が大きかった。
当時の私は孤独で、自分一人では何もできなかった。
まともな就職も友人も、私には手の届かないものに思えていた。
一人でひっそりと生きていく私、そんな未来の方がずっと現実的に思えていた。

だが、もしもその世界線にいたとして、果たして「不幸」だっただろうか
むしろ、一人を謳歌したり、何かしら没頭できるものを見つけて楽しんでいたりするかもしれない。

思い描いた通りの人生が幸せかどうかは誰にもわからない。
もしも、「よくない未来」を歩んでいたとしても、そこに何かしらの幸せを感じて生きていたかもしれない。

今の世界で暮らす現実の自分

今の人生にいる自分

結果、私はそのどちらにも極端に転ぶことはなく(多少は転んでいるが)、それなりに今を生きている。
現実は、どちらの世界線も存在しなくて(存在しているかもしれないが、それは自分自身ではない)、私は私の今の人生を生きている

実は描いた未来の中にいた時分

それに、ぼんやりと描いた未来を、ぼんやりとつかんできた。

「赤毛のアン」に憧れてカナダに住みたかったのだが、実はホームステイで3週間ほど「住んでいた」。

英語はペラペラではないがTOEICで800以上は達成した(自慢である。だって、ものすごく勉強したのだ)し、小説家ではないがネットで文章を発表できるし(文明の進化に万歳!)、インテリアや料理は適当…なのは、むしろそっちのほうが楽だし…。

初恋の人…とは結ばれていないし子供にも恵まれていないが、今の夫とは色々あったが、今ではよい関係になっている。(今思うと、初恋の人はとても素敵な人だったが、私とは合わなかった気がする)。

海外旅行も、ごくたまーには行っている。

そして、気の合う友人とかわいい愛犬
この夢は、本当に叶えてしまった!


どんな道を歩んでどんな未来にたどり着いたとしても、それは思っているほどの意味を持たない。
今、立っているこの場所、それはどんな妄想の世界よりも大切な場所。
自分が自分を幸せだと感じていれば、それでいい。

そのことに、50代の自分が気づけた、それが何よりよかったことだと思う。