服について真面目に考えてみる~自分だけのクローゼットを作るための基本

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ある程度年齢を重ねた今だからこそ、「服」について考えてみたい

とはいえ、服について偉そうに語れるとは露ほども思っていない。
オシャレは嫌いではないが、流行を追うタイプでもなく、センスが良いとも言えない。
服のことを考えるのは、楽しいというよりむしろ面倒くさい気持ちもある。
もうすでに、何十年も服と付き合ってきたのだし。

だから、服など着ないで生活するのが一番である!

…というわけにはいかない。
服には様々な目的があるが、目的云々の前に「素っ裸で歩かないこと」は法律で定められている。
(公然わいせつ罪とかになるとか)

つまりは、「捕まらない」ためにも、何らかの服を身につけるという決まりがある。
しかも、毎日毎日…
どのみち誰もが服を着なくてはいけない。

だから、快適に楽しく着たい。
なぜなら、服は「着る」という簡単な作業で、自分の世界を大きく変えてくれるのだから。

服について真面目に考えてみる

まだまだ続く長い人生、「服」について改めて考えてみる

若い頃であれば、色々なことに挑戦し、挑戦した数だけ失敗してもよい。
服についてもそうだ。
誰もが必ず一度は服で「失敗した」という経験を持っているのではないかと思う。
私も当然、一度どころか何十回も、そして現在進行形でも「失敗した」と思うことは多々ある。
それは、好き嫌いや、似合う似合わないや、着る着ないといったことなどが原因である。

けれど、ある程度年齢を重ねたら、これまでの失敗や反省も活かして、服と上手に付き合っていきたい
挑戦も失敗も「経験として積み重ねられていくはずなので、年齢が上がるにつれ、失敗する頻度も減っていく(0にはならないが)。

自分だけのクローゼットを作る

自分だけのクローゼットとは

服とこれからも上手につきあっていくために、「自分だけのクローゼットを作る」ことをめざしたい。

自分だけのクローゼットとは、要するに「自分が着る服、お気に入りの服、役に立つ服、自分をきれいに見せてくれる服」だけが収納されたクローゼットのことだ。
着ない服、好きではない服、役に立たない服、きれいに見せてくれない服…を、収納しておくのは、場所も時間ももったいない。

ちなみに自分だけのクローゼットに収納する服のことを「一軍の服」と呼ぶこともある。
要するに「出番がある」服のことだ。

二軍、三軍の服もたまには「代打」などで登場することもあるが、日の目を見る機会は少なく、もしかしたら一度もないかもしれない。
二軍選手にも幸せになれる場所はあるだろうが、少なくともそこは…自分のクローゼットの中ではないのだ。
自分のクローゼットはやはりちゃんと出番がある服でそろえていきたい。

私服の制服化に学んでみる

ミニマリストのコーデの考え方に「私服の制服化」というのがある。
制服のように、自分で決めたコーデばかりを着ること

有名なのが、黒タートルにデニムしか着ていなかったスティーブ・ジョブズである。
彼は、仕事に全エネルギーを注ぎ込むため「服のコーデを考える」というわずらわしさを捨て、コーデを一つだけに絞った。

凡人にはそういった究極のライフスタイルは必要ないかもしれないが、そのようなミニマリストのような考え方は一部採用できる。
といっても「それしか着ない」という極端なものではない。

ジョブズ氏に比べると、時間的、精神的にゆとりのある生活を送っている凡人の自分でも、「着るという義務がある服というものを、死ぬまで毎日考える」のは、やはりちょっと面倒な日もある

そして、コーディナートに失敗した日は、一日中気分も上がらない、という経験は、もうすでに何度も繰り返してきている。
もしも誰かが、自分のための服を毎朝用意してくれたら楽なのに…などと考えたりもする。

「自分のための服」とは自分が目指したいテーマにあった服。
そしてそれが、私の思う「私服の制服化」だ。

ジョブズ氏の場合は、「どこにでも売っている黒のタートルネックとデニム」というシンプルなコーデを着ることで、選ぶこと、購入すること、流行を追うこと、自身のファッションに過剰な注目を向けることを避けた。
「同じ服を着ている」という注目は浴びたが、「ジョブズ氏は○○ブランドの服を着ている」などの、ジョブズ氏が伝えたいこと以外の情報を他人に与えていない。
「注目してほしいのは私の外見ではなく、発想だ」
という彼の「テーマ」が服に現れている。

私服の制服化とは「自分が目指すテーマ」を把握し、そのテーマにあった服を中心に着ていくことだ(と認識してみる)。
ある程度の年齢になれば、洋服に関する数々の失敗を繰り返し、色々挑戦しては、好きな服、好きなテイストが固まり、似合う服も何となくわかってくる
そして、「こんな風に見られたい」という理想もそれぞれ持っているだろう。

私は「私を最高に輝かせてくれる素敵な服」を着てみたい
人によっては「とにかく着心地が楽な服」「汚れが目立たなければそれでよい」というのがテーマになることもあるかもしれない。
テーマは人それぞれだが、「何も考えずに、何となく着る」ことは卒業したい。

ちゃんと考えてちゃんと着る

私は服に関しては「自分の経験」と「独断」しか持たない、そこら辺のド素人である。
ファッション偏差値というものがあるとすれば、50もあればよいのではないかと思っている(要するに可もなく不可もなく)。
唯一の救いは「太っていない」ことくらいなので、若いコの服も、着ようと思えば何とか着れたことくらいだった。

こんなド素人の自分が、50歳にして突如、服に目覚めた。
外見の衰えが顕著になり始め、肌や髪を美しく保つのは難しくなってくるが、服というものは、とりあえず「買って着るだけ」でよい
服選びをちゃんと考えれば、誰でもちゃんと着れる。
着るのすら大変な和服に比べると、洋服は「着るだけ」でよく、それだけの作業で自分を変えてくれるので、とても簡単だ。

別に「何も考えずに何となく着る」のが悪いわけではないと思う。
だが、毎日着る洋服をちゃんと考えることは、これから衰えていくであろう自分の認知機能を保っていくのにも有効だろうし、自分にとっては新しい挑戦にもなる

年齢を重ねていくと、「自分自身」で勝負するのが難しくなってくる。肌も髪も衰え、どんなに美しい人であっても「10代、あるいは20代に見える」ことはほぼない(稀に年齢不詳の人もいるが)。

そして、肌や髪を若く美しく保つのは並大抵ではない。
素材が藤あや子さんやジュディオングさんであれば、話は少し違ってくるが、自分はひいき目に見ても「阿佐ヶ谷姉妹」である(彼女たちは十分きれいだが)
要するにお金も時間も手間も、そして素材も必要

こんな自分ができる唯一の方法、それはもう「服」しか残されていない。
服は「買って着るだけの簡単な変身テクニック」
年を重ねたら「服」に助けてもらおう。

「経験」から服を着る

年齢を重ねると、確かに見た目では若いコにはかなわない、かもしれない。
けれど、逆にファッションに対する「余裕」も出てくるかもしれない。
子育てが終わった人なら時間的余裕が。バリキャリ(と言うのは死語?)なら金銭的余裕が。そして何より、年齢による「経験的余裕」がある。

経験とは、これまでの成功体験と失敗体験から積み上げられた、自分だけのマニュアルのようなもの。
どんな服で失敗したのか、自分は何が似合って何が似合わないのか。
服に求めるテーマは何か。

そういうことが若い頃より明確になってくる。
もしも明確でなければ、よく着る服(着やすい)、似合っている服(なんか美人に見える)、逆に着なかったり似合わなかったりする服を書き出し、何故そう感じるのかを分析してみる。

結局は、自分のことは自分に聞く。似合うコーデは自分が一番知っているはず。

「きれいに見える服」は人それぞれ

お金をかければ誰でもきれいに見えるのではなく、プチプラの服でも「自分をきれいに見せる服」を選べばよい。
ただし、若い頃のように「流行りの服でも着とけばきれいに見える」状態ではなく、一人一人「自分がきれいに見える服」が違う
そして、それを考えるのはちと面倒である…が、その面倒さを乗り越えれば、「買って着る」だけで、誰でも十分きれいでいられる。
実際にはきれいなのは「服」であっても、それが似合えば自分もついでにきれいに見える

逆に言えば、「綺麗に見えない服」を着ると、ちょっともったいない。
もちろん、きれいに見せてくれなくても気に入っている服を着るのもよいが、鏡の前に立った時の感動が、前者と後者ではまるで違う。

若い頃には、流行りの服を着れば「おしゃれな人」に見えたが、年を重ねるにつれ「今の自分に似合う服」を着た方がきれいに見える
「白い普通のTシャツ」を着ていると、「白い普通のTシャツを着ている女性」だったが、年齢が上がって普通の服を普通に着ていると…「ただのおばさん」である。

別にそれはそれでよいのだが、裏を返せば「きれいな服」もしくは「きれいな着こなし」をすれば、ただのおばさんではなく「キレイな服を着た女性」にもなりうるということだ。
「きれいな人」と褒められることはなくなっても、「きれいな服を着た人」と褒められれば、それで嬉しくなる
若い頃であれば「かわいいね~その服」と言われるとがっかりしたものだが、年を重ねると、もはや服だけでも褒められることが名誉である(私だけかもしれないが)。

また、魔法のグッズ(メイクやヘアスタイル)があれば、かなり自分自身を「盛る」ことができる。
「盛る」と言っても、加工した写真のように、もはや原形をとどめていないような盛り方は、かなり個性的な人以外は難しい。
例えば、研ナオコさんなどの「盛る」テクニックは、むしろすがすがしいくらいであるが、それは研ナオコさんの「個性」だからよいのだ。
そういう意味の「盛る」ではなく、「きちんと丁寧に身だしなみを整える」ことで十分。
大切なことは一つだけ、キレイを死ぬまであきらめないこと。

パーソナルカラーに頼る

ほとんどのメーカーは「色違い」で同じアイテムを作っているため、色については悩む部分だ。
だが、自分のパーソナルカラーが「イエロー」か「ブルー」かがはっきりしていれば、自分が類する色味の服を買う方が間違いが少ない。コーデがとても上手な人や、どんな色でも着こなせる人は別だが、何だかんだと自分のパーソナルカラーでまとめた方が、きれいに見える。
特にトップスは、「似合わない」色を着こなすのは難しい。そのうえ、手持ちの服とも合わせにくい。

骨格診断に頼る

骨格診断とは、人の体系をムリヤリ「3種類(ストレート、ナチュラル、ウェーブ)」に分類し、自分がそのどこに類するかを診断するもの。自分の骨格似合う服を着るときれいに見える、というものだ。
たった3種類なんて強引な…という気もするが、何種類もあると迷ってしまうので、とりあえずは基本として自分がどれなのかを認識しておくと服が選びやすい。

私は残念なことに「ナチュラル」らしい。
なぜ残念かというと、ナチュラルタイプに似合う服はカジュアル、ゆったり、かっこいい…と、私の趣向にはあまり合わないからだ。私自身はウェーブさんに似合う、フェミニンで優し気な服が好きなのに。

が、確かに人生を振り返ってみると、ウェーブさん向けだとされている服を着ると「ごつく」見えることも多かった。逆にナチュラルタイプ向けの服は、周囲の誰よりもきれいに着ることができる。
私は痩せ型なのでとりあえず何でも服を着こなせるほうではあるが、骨格は体重とはあまり関係ないらしい。ここは自分が「ナチュラル」だと認識した方が「キレイ」には見えるだろう。
※実際のところ、服など何を着ても構わないと思うが、50を過ぎたオンナがキレイを目指すためには「きれいに見える服」を選んだ方が手っ取り早いと思う。

ナチュラルタイプの私であるが、色やデザイン、小物などでいくらでも「フェミニンで優し気」に見せる方法はある。そういうことをファッションの方向性として考えていこう。

骨格診断とパーソナルが具体的にわかる本

骨格診断×パーソナルカラー 似合う服だけでつくる 春夏秋冬ワードローブ [ 二神 弓子 ]

自分はどのタイプ? 診断方法から具体的なコーディネートの例まで書かれている本。例えば、コートは? Tシャツは? バッグは?と、アイテム別にも自分に似合うものが探せる。自分のクローゼットの状態を見直したり、次に買い物するときの参考に。

ファッションにはお手本が大事! 師と仰いでいるのは…

ところで、ド素人の自分が、自力で服の勉強をするのは難しい。

そこで、私が「師」と仰いでいるのが、「ミランダかあちゃん」こと「輪湖もなみ」さんである。
(動画で知っただけなので、直接面識があるわけではない)

この方は、ファッションの考え方を原子レベルに細かくした後に、積み木レベルに単純に組み立て直し、ド素人の自分でも簡単に理解できるように説明してくださっている
年齢もちょうど自分にとっては「お姉さま」世代、私が参考にするにはぴったりだ。

実は、私とこの方では目指すテイストが少し違うので、取り入れているのは「ミランダかあちゃん理論」だけだが、こんなに好みが異なっても取り入れられるというのは、逆に「ミランダかあちゃんの基礎がしっかりしている」ということだ。
何でもそうだが、ファッションもやはり基礎が大事だ。
かなり色々なことを勉強させていただいたので、このブログでファッションについて書くときは、この方の影響を多分に受けている部分が多いと思う。