【時間】人生とは時間の使い方である!と思う理由

やってみる
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「お金持ち」という言い方はあるが、「時間持ち」という言葉はあまり聞いたことがない
「時間がある」「時間がない」という言い方はするが、それは「何かをする時間がある(と思っている)」「ない(と思っている)」ということだ。

一人の人が生まれてから死ぬまでの総合的な時間のことは「寿命」という。
けれど、それには個人差がありすぎるし、寿命が尽きる瞬間まで正確な人生時間は割り出せないし、割り出した時点では人生が終わっているし、そもそも寿命の長さと幸福度とかが比例するわけでもないし…ということで、ここでは考えない。

ここで言う「時間」とは単純に24時間のこと。
とりあえず、地球に生きるすべての人は「1日24時間」を持っている。
格差社会といわれるが、与えられた時間には、1日としてまったく格差はない。
それを「当たり前」だと感じていると、時間をうまく使えない。
24時間を大切に意味あるものだと思うと、時間をうまく使える。

そして、それが積み重なり、積もりに積もって、本当の「格差」ができる。
人生とは、結局は「時間の使い方」で決まるのかもしれない。

24時間は誰にも平等に与えられている

もしも、今まで自分がどんな時間の使い方をしてきたのか、まるで預金通帳の記録を見るように知ることが出来たら…恐ろしいほどの大量の時間をムダにしてきたという事実を、目の当たりにしてしまうだろう。
少なくとも、私自身はそうである…という自信がある。

若い頃、時間はあったのだから、もっと勉強しておけばよかった…資格でも取ればよかった…と思う。
ダラダラとくだらない絵や文章を書いたり、「まきがめ(ゲーム)」に何十時間もはまったり、そういや息抜きと称して「ソリティア」も延々とやったり、そもそも何をやったかすらよくわからない時間をウダウダウダウダ…と過ごしてみたり…

もしも、その時間を何かしら未来につながることや、意義のあることに使っていたら、きっと大きく人生は違っていた。
同じ年齢の人で、同じ年齢まで生きていたのなら(誕生日の違いは置いておくとして)、同じ長さの時間を与えられているということだけは、紛れもない事実。
そこに不平等は存在しない。環境や性格に左右されることは、一切ない。

24時間の使い方で成功か失敗かが決まる

人は一人一人違う。
持って生まれた性格や資質も、与えられた環境も、それぞれ違う。
だからこそ、あちらこちらで平等論が叫ばれているのだが、皆それぞれ違うのだと、違いばかりを意識していると、全く同じものを持っていることを見逃してしまう。

おぎゃあと生まれたその日から、みな同じもの(時間)を持っている。
同じ年齢の人と、同じくらいの長さの時間を過ごしてきたのは事実なのに、人生を長く歩めば歩むほど、人生の開きは大きくなる。

つまりは、時間を上手に使い、思った通りの結果を出せたら、人生は成功で、なんだかイマイチ時間に流されるばかりで、思った通りにいかないことばかりだったら、人生は失敗だ、と感じるのかもしれない。
ほぼ同世代でも、倍くらいの時間を生きているような人もいる。
同じ24時間でも、14時間と36時間くらいの開きがあるような気がする。

本当に時間を上手に使える人は、概ね「成功者」となっている。
夢と信念をしっかり持ち、時間をうまく割り振ってその夢に向かって突進していく。
彼らはエネルギッシュで、濃い人生を送っている。
決定も早く、目標高く、判断力も高い。
それが長年積み重なれば、人生の格差を縮めることが不可能なほどに開いていく。

今この瞬間でさえ、24時間のうちの数秒は過ぎていく

「成功者は時間の使い方がうまい」と思う。
が、裏を返せば、時間を管理すれば成功者への道は開ける。

といっても、残念ながら、24時間×365日の50倍以上はもう過ぎてしまった。
失った時間は取り戻せない。

が、実際には失ったわけではなく、その分時間は自分の中に積み重なっている。
今この瞬間でさえ。
だからこそ、この瞬間から時間の使い方について、結構真面目に考えてみたら、人生は変わるかもしれない。

24時間を最大限に活用して、納得いく人生を送れば、幸せになれる。
幸せとは「自分らしい人生を送れる」こと。
そのために大切なことの一つが、時間を操れるようになること。
お金も仕事も恋愛も、時間あってのことだから。

1分は60秒、1時間は60分、その長さが人によって違う理由…などない。
けれど、楽しい時間は一瞬で、つまらない時間は永遠である理由…はあるかもしれない。

辻ちゃんに学ぶ生き方と時間の使い方