子供の頃の夢は、小説家だった…。
確かに小説を書くのは好きだったが、人と比べて文章力が著しく優れているとか、読書量がすごく多かったということはない。
たまに作文や読書感想文で学内の賞をもらうことはあったが、県内、ましてや国内のコンクールなどで表彰されたこともなかった。
しかも、小説のネタはいっぱい考えたが、それを完成させることはほとんどなかった。
けれど、私は絶対に小説家になってやると誓っていた。
今に至るまで、小説と言えるものを書いたのはほんの数点しかないというのに…。
誰だって幼い頃は様々な夢を描くものだから、ここまでは若気の至りということで、今となっては笑い飛ばせる。
しかし、「実は私は夢を叶えていたのではないか」という気がしている。
子供の頃に描いた夢をかなえていたと思う事実をまとめてみた。
好きなこと、特技を見つめてみると…
小説家になりたい!…は、若気の至りだった
小説家になりたかったのは、小説を書くのが好きだから…だと自分では思っていた。
今は書けないけれど、きっと将来はすごい小説が書けるはず!
自分の名前が記された本が書店に並び、それをファンの人たちが手に取る…そんなシーンを思い浮かべる。
だが、未だに小説と言えるものをほとんど書き上げていない自分が「小説を書くのが好き」だとは、さすがにリアルな世界では言えないし、言ったこともない。
若い頃の自分は「自分はきっと小説を書くのに向いている、好きに違いない」と思い込んでいただけだった…。
若気の至りだったのに、実は夢をかなえていたという衝撃の事実!
しかし、ひそかに自分の「夢」はかなえていた。
小説家にはなれなかった自分だが、実は子供の頃にすでに自分を把握し、将来の自分の姿を明確にとらえていたのだ。
それは、文章を書くということ。
大学時代は論文、就職してからもレポートや報告書、メール、さらにはホームページや広告を作成するにあたって、ある程度の文章力はあるに越したことはないし、プライベートな手紙、そしてこのブログでも、「文章」は必須だ。
文章力があるかどうか、という話になると、ちょっと怪しくはなってくるのだが、「文章を書き続けることが全く苦にはならない、むしろ大好き」であるのは事実。
つまり、「小説家」というのは、自分の中では「たくさん文章を書いて生きること」のメタファーのようなものだったのだ。
働き方、ライフスタイルを見つめてみると
小説家ではなく「小説家のような生き方」を目指していた
子供の頃、将来の自分の姿を思い浮かべたとき、どこかの会社に勤め、仕事を卒なくこなし、アフターファイブは同僚たちとショッピングに行ったり、飲み会に参加したりする…なんていう姿は思い浮かばなかった。
また、人前で何かを披露するとか、物作りをするとか、お店で何かを販売するとか、周りにたくさん人がいるような環境で働くというのもピンとこなかった。
当時の自分は孤立していて、机の前に何時間も座って、1人で何か考えているような子供だった。
将来、何らかの仕事をしなければいけないとしたら、1人でできる仕事、家でできる仕事がしたい…というより、それしかできないと思っていた。
だから、「一人でできる仕事→小説家(ってかっこいい)」と、安易に小説家を目指していたのだ。
実に子供らしい、というより現実逃避な発想である。
小説家のような生き方をしている今の自分
しかし今、「在宅」という体制で、文章も割と書く機会がある仕事をしている。
それは自分が人生の様々な選択肢の中で、その夢を叶えようと選んできた結果なのだと思う。
深層心理を見つめてみると…
小説家になりたかった本当の理由
子供の頃に描く夢は、現実離れしていたり、本気で目指しているものではなかったりする。
けれど、その夢を描く理由は何かしらある。
「小説家になる」という夢の実態は、「物書きをしたい」「家でひとりで仕事したい」という深層心理だった。
その夢が本当に求めていることを、自分でもよくわからず、思いつきやすかった「小説家」として表現したのだ。
人は描いたいた未来を知らず知らずのうちに生きている
ほとんどの人は、自分が描いてきた将来の姿に近い人生を生きている気がする。
「お嫁さんになる」のが夢で、今独身だったとしても、「お嫁さんになりたかったのはお掃除が好きだから」という理由であれば、きれいなお部屋に暮らしているという現実があったりするかもしれない。
「ケーキ屋さん」という夢があったら、その理由はケーキを作りたいからではなく「毎日ケーキを食べたい」というものだったかもしれない。だったら、大人になった今は、スイーツを食べるのが日課になっているかもしれない。
それも「ひそかに夢をかなえた例」だ。
夢を描いた理由と子供の頃の深層心理を探ってみると…実はちゃんとつながっていたりする。
逆に、絶対にやりたくないことは、人は自然と選ばないものだ。
やりたくないことが実はやりたいことだったり、やりたいことが本当はやりたいわけではなかったりするから、深層心理は複雑だが。
ここだけの話…小説家を長く夢見ていた…
実は40代の終わりぐらいまでは小説らしきものを書いたりもしていたのだが、分かったのは、自分がそもそも小説のというものを理解していなかったことと、小説家になるにはありえないほど実力が不足しているということだった。
40代という年になって、現実というものを嫌というほど突き付けられたが、むしろ夢から解放されて少し楽にもなった部分もある。
とはいえ…実はやっぱり「小説家」に憧れる気持ちは、心の隅っこに残っている。
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