- 福岡の山は微妙に低く親しみがある。
- 福岡の地形は縄文時代辺りからあんまり変わっていないのかもしれない。
福岡の山は低い
山に囲まれている福岡の街
福岡の街を歩いて、ふと前方に目を受けると…山。
福岡は山に囲まれた街だと言えます。
平地と山が作り出す光景は…
地平まで広がるケニアの砂漠と背景にそびえるキリマンジャロ連峰のように…
あるいは日本海北陸地方から見た日本アルプス連山のように…
あるいは晴れの日には東京の高層ビルから孤高の姿を見せてくれる富士の山のように…
そんな広大で立派な風景ではありません。
福岡の山は初めてのおつかいにもぴったりだった?
福岡県で最も高い場所は釈迦岳の1230m、福岡市だと背振山の1056m。47の都道府県の最高地点を比べても下位にランクインされています。
福岡の山は低く、山というよりも稜線がどこまでも続いていくといった風景です。
例えば福岡市早良区の背振山、日帰り登山ができるほど、簡単に登れる山です。
狩猟と採集がメインだった縄文時代には、3歳児がはじめてのおつかいならぬ「はじめてのドングリ採集」なんかしていたかもしれません。さながらコンビニ代わりのように。
「山」というよりもちょっとした坂、といった感覚だったかもしれません。
山は「山岳信仰」のような神々しいイメージがありますが、福岡市近郊の山は、親しみやすい山々です。
日本海側に位置する福岡は、町全体に薄いベールのかかったような、はっきりしない空気に包まれていることも多いのですが、そんな日は山の稜線は青みがかったグレーのシルエットとして空に溶け込んでいます。
そんな山々が福岡を今でも見守っています。

福岡の山と平野
福岡を空から眺めるとわかる! 衝撃(でもなんでもない)事実
福岡県全体を航空写真で見てみます。
緑色が濃いところが山岳地帯、薄い緑が田畑、白っぽいところが住宅、商業産業地帯。文字情報がなくても、航空写真をみるだけですぐにわかります。
内陸部には山が多いのですが、平地も豊かな広がりを見せ、弥生時代から現在に至るまで、農業地帯として適していることがうかがえます。

福岡が今の地形になるまで
福岡県(日本)が概ねこの地形になったのは、今から6、7000年前の縄文海進後だとされています。
7万年前~1万年前の最終氷期時代には、海水面は100m以上低く、玄界灘は陸地で、朝鮮半島までの行き来も容易だったとか。
最終氷期の最寒冷期後(約19,000年前)くらいから、温暖化現象により海水面の上昇(縄文海進)がはじまり、一時は福岡の奥地まで海水が侵入したようです(具体的にどのあたりまでが海だったのかは定かではありませんが、今の平地のほとんどが海だったという説もあります)。
その後、水が引き、今の地形に近づいたようです。
文字で書くとあっさりしていますが、「ワシが子供の頃にはここは海やったったい。今は陸地やけんど」という程度の期間ではなく、気絶しそうなくらい長い年月のお話ですが。
実は縄文時代からあまり変わっていない地形?
今ではかつて山だったとはにわかに信じがたいほどに、地形が変わってしまったところも沢山あります。
山の一部は切崩され、土砂は浜へ運ばれて、陸地を広げるための埋立に使われることもありました。生き物のように姿を変えていった海岸線…。
縄文時代と今を比べると、細かい部分では人工的あるいは自然の変化によって、地形も変化してきました。
けれど、山というよりも凹凸として考えてみると、ざっくりとした「高いところ、低いところ」という地形は、それほど変化していないのではないでしょうか。
古くからほぼ山(丘陵地)だった山の部分は、雨が降ると豊かな水をたたえ、川によって海まで運ばれ、海を育てていきます。
福岡県の大きめの河川は筑後川、遠賀川、矢部川など。これらが大地を潤して作物を育てます。
かつては海だったかもしれない平野部分では、人が密集して暮らしてムラやマチを作ります。
古代から変わることのない、福岡の人々の暮らしの形、です。

地層が教える福岡の歴史
福岡の地形を解くカギは、空から眺める…というより、現代では「Google Map」などの便利な地図アプリで大体わかります。
ただし、そんなざっくりとした方法だけではなく、地層も歴史を知る大きな手掛かりとなります。
最終氷期以前(約18,000年前よりも前)に堆積した地層は洪積層、それ以降は沖積層と言われますが、洪積層は「かなり古くから陸地」だったので、人が生活していた可能性も高いと言えます。
例えば、福岡市では特に南区(福岡市南区:柏原山田、老司・野多目・若久など)は広い範囲が洪積層で構成され、7000年前の縄文土器や遺跡が発掘されています。
南区は今でも「緑豊か」がウリの街。
秋になると、ずっしりと大地に根を張る広葉樹から、かわいらしいドングリたちが舞い落ちてきます。縄文時代だけではなく、21世紀の秋も。
福岡市南区もずいぶん住宅地が多くなりましたが、例えば鴻巣山などは、今でも縄文時代の香が残っている…気がするのです。
ちなみに現在の都市部分(天神、博多区など)はほぼ沖積層です。
この辺りは歴史や地学の知識としてよりも、「不動産」を選ぶときの情報として、今でも重要なデータになっているようですね。
縄文時代の生活は山が支えていました。木々や草花を育み、水を貯え、鶏や動物、そして人々の生活を作っています。
男たちは日に何十キロも野山を歩いては、木の実や草の根を採取し、獣等をしとめます。海に近い場所では、魚介類も重要な栄養源となっていました。女たちは竪穴住居で、土器で煮炊きをしながら子を育ていました。
「男とは」「女とは」などと唱えることなく、自然に自由にそうやって暮らしていた、ような気がします。
「自由」の意味が、今とは全く異なる時代があり、そんな時代に縄文の人々はそんな時代なりの幸せを感じて生きていたのでしょう。