世界名作劇場が作ってくれた海外への架け橋
幼い頃から、いつかは海外へ行きたいとずっと願っていました。
といっても、周囲には海外旅行に行ったり外国に居住している人が少なく、海外は全く身近なものではありませんでした。
家庭環境と海外の関係と言えば…
母方の祖父が日中友好に関わる活動をしていたことから、中国の話を聞かされていたこと。また、父方の祖父の家には、イギリスで買ったという兵隊さんのお人形があったこと。医師だった曽祖父がドイツに留学していたこと。
…せいぜいそのくらい。
けれど、それらについては、「海外」というよりも「お仕事のひとつ」としてしか認識していませんでした。
では、いつ頃から、なぜ私は海外に憧れるようになったのか。
その謎を解くために、幼い頃からの記憶を引っ張り出してみると、どうやら私が「本と空想が好きな少女」だったことが関係しているようです。
子供の頃、外国を舞台にしたお話が大好きでした。
特に好きだったのは「小公女」「若草物語」。そしてもう一つ、大好きだったのは「世界名作劇場」です。このシリーズは、1年間かけて外国の世界を見せてくれました。
ここでは、私に大きく影響を与えた世界名作劇場の作品について、舞台となった国ごとにまとめてみます。
世界名作劇場を国ごとに振り返ってみた
スイスが舞台
アルプスの少女ハイジ
(1880年頃執筆されたことから)1860~80年頃のスイスが舞台?
山の草原やお花畑の中でハイジは暮らしています。
ログハウス、ヤギの乳を搾って飲む「木の器」、まっさらなシーツをかけられた乾草のベッド…ハイジに出てくるそんなシーンは、私の日常生活の中には全く存在しないものでした。だから、「味噌汁の椀」に牛乳を入れて飲んだり、寝る前には姉妹が両側で飛び上がって布団にシーツをかけたり(笑)と、ハイジの世界に強く憧れました
ハイジは山を下りて「フランクフルト」という町で暮らします。フランクフルトのお屋敷や石畳の道や教会なども強く印象付けられました。
オープニングの冒頭で流れるヨーデルも印象的。ハイジを観なければ、私がヨーデルなるものの存在を知るのは、もしかしたら大人になってからだったかもしれません。
世界名作劇場はアニメ本編だけでなく、オープニングから異国へといざなってくれるのです。
ベルギーが舞台
フランダースの犬
1870年頃のベルギーが舞台?(1872年に作品が発表されたことから)
水車、アロアの白い頭巾や木靴、美しい教会…ベルギー(またはオランダ)のイメージは、ハウステンボスより前にこの作品で私の中に植え付けられました。
そしてオープニングの冒頭の歌詞。何だかわからない言葉なので、ずっと気になっていました。(今だと簡単にネットで調べられますが)
「知らない言葉がある」という興味は、後の「外国語への憧れ」にもつながっていったようです。
イタリア、アルゼンチンが舞台
母をたずねて三千里
1882年頃のイタリアとアルゼンチンが舞台(1882年に「母」が出稼ぎに出たとか)。
主題歌に出てくる「アンデス」の地名は、地球上に実際に存在する場所ではなく、「おとぎ話」のように感じていました。マルコのポンチョ、アンデスの山々、民族衣装…も、この作品で私は初めて出会います。
そんなおとぎ話のようなイメージなのに、なんとなく「郷愁」を掻き立てられていました。アジアでもない、欧米でもない、見知らぬどこかなのに、何故だか懐かしい気がする。私の知らない文化や民族…。
私は後に民族文化に関心を持つようになるのですが、「民族」に対して強い関心を持ち始めたのも、マルコがきっかけなのかもしれません。
マルコの舞台がイタリアだったときのことは、実はあまり記憶にありません。
ただ、エンディングの歌詞の中に「ボンジョール ミア マドレ(母さんおはよう)」という歌詞があります。イタリアはお母さんを大切にする国だと言われていますが、そのことを知ったとき、このフレーズが頭の中でがっちりと結びつきました。
アメリカが舞台
あらいぐまラスカル
1918年頃のアメリカが舞台。
幼い頃の私にとって外国と言えばアメリカ。外国人は「アメリカ人」だと思っていたし、「ハロー」だとか「サンキュー」だとかの言葉は「英語」、あらゆる文化がアメリカにつながっている、と思っていました。
けれど、その「アメリカ」と、作品中の牧歌的な世界が、重なっているようには見えませんでした。
アニメに描かれていたのは古い時代のアメリカ、いわゆる「古き良きアメリカ」の世界です。
後に大学で「アメリカ文化」を学ぶのですが、その時に関心があったのも古い時代のアメリカでした。
トム・ソーヤーの冒険
1840年頃のアメリカの開拓時代が舞台。
腕白な少年たちの物語ですが、印象的だったのは「ミシシッピ川」の名称。アメリカで二番目に長く、国家を代表する側の一つです。
アメリカの地理についてもさりげなく教えてもらえます。
愛の若草物語
1860年頃のアメリカが舞台。この作品は4姉妹の人生を、3姉妹である自分たちに重ね合わせていました。
その4姉妹の愛称と本名( )内は、メグ(マーガレット)、ジョー(ジョセフィーン)、ベス(エリザベス)、エイミー。エイミーはそのまま、ジョーは頭の文字、ベスは語尾の文字から。
メグ? なぜ?どこから? なんだか愛称と本名がしっくりいかず、ずっと引っかかっていました。
後に知ったのは、アメリカでは「公式愛称」みたいなものがあること。
例えば、90年代から2000年代初期の大統領「ビル・クリントン氏」は、本名は「ウィリアム・クリントン(ミドルネームもあるがここでは省略)」。どうやらウィリアムは一般的にビルと呼ばれることが多いそう。キャサリンはケイトとか、ロバートがボブとか。
「メグの疑問」は、アメリカや英語への関心へつながっていったようです。
ところで、この作品の年代を調べて、今初めて知ったことがあります。私が好きな別の作品(風と共に去りぬ)と同じ時代が舞台となっていることに。そういえば「若草物語」の姉妹たちの父親は「戦争」に行っていましたが、それは南北戦争のことだったのですね。
幼い頃に知った「若草物語」が、高校生でハマった「風と共に去りぬ」へ、大学ではアメリカ文化の選考へ、そして海外旅行へ…とつながっていったようです。
こじつけ、かもしれないけど、そう思っておくことにします。
ボスニア、クロアチア、イタリア、スイス、フランスが舞台
ペリーヌ物語(1978年)
1890年代が舞台?(1893年に作品発表)。
国境を越え東欧から西へと国境を越えていったのですね。(現在だと)5つもの国を旅していたことを、今初めて知りました。
実は、あまりはっきりと映像を覚えているわけではないのですが、きっと色々な街が外国の美しい風景を見せてくれたことでしょう。
ペリーヌといえば「馬車」が印象的で、馬車に乗って旅をしてみたいと思ったものでした。
国境を超え、旅をしたいという気持ちを作ってくれたのはペリーヌでした…というのは、さすがにこじつけか。
カナダが舞台
赤毛のアン(1979年)
1900年代初期が舞台(1908年に発表)舞台はカナダ(プリンスエドワード島)。
アンに関しては小説や関連書籍を複数読んでいるため、アニメだけのイメージはないのですが、美しい湖水、グリーン・ゲイブルズ、イチゴ水など、印象的なシーンや風景はたくさんあります。
そして、とても美しく平和な国だという印象を強く持ち、私は初の海外旅行先としてカナダに行くことになります。
ただ、プリンス・エドワード島にはまだ行くことができていないので、いつの日かアンの世界を堪能したいと思っています。
オーストラリアが舞台
南の虹のルーシー
1830年頃が舞台。開拓時代のオーストラリアで、新しい土地で生きようとする家族の挑戦が描かれています
…が、今記憶に残っているのは「歌」。「斧打つ響き 道拓く歌声(開拓の光景を描写)」「ユーカリの木に赤ちゃんコアラ」「水辺に遊ぶワライカワセミ」(動物を描写)…この歌のおかげで、オーストラリアには不思議な動植物がいるんだな、と知ることにいなったのでした。
海外旅行に行くときは、街や文化だけでなく自然を楽しむ時間も作るのですが、世界名作劇場は、日本にいない動物への関心も、引き出してくれた気がします。(これは本当に)
イギリスが舞台
小公女セーラ
1885年頃のイギリスが舞台。
寄宿舎、屋根裏部屋、ロンドンの石畳、お父様のお仕事、兵隊…
後年、私はロンドンを訪れますが、ロンドンのイメージのすべてを作ったのは、小公女セーラでした。
なぜインドからイギリスへ? 作品の中で描いた疑問も、いずれ世界史を学ぶ中で知っていくことになります。
小公子セディアメリカ/イギリス
1860年頃?のイギリスが舞台。
アメリカとイギリスの違い、金髪でお坊ちゃまスタイルのセディ…
アメリカに住んでいたセディは、貴族の跡取りとしてイギリスにわたるのですが、同じ言葉を話し、見た目も同じに見えたのに、文化が異なっていることに興味を覚えました。
イギリスの伯爵(セディの祖父)がアメリカを馬鹿にするのですが、このシーンは、今に至るまでイギリスとアメリカへのイメージを私の中に植え付けています。(ここでは深く書きませんが)
無人島が舞台
家族ロビンソン漂流記 ふしぎな島のフローネ
1800年頃が舞台で、同シリーズの中で最も古い設定。
作中の舞台のほとんどが無人島だったため、海外、また国際文化の視点から考えるのは変かもしれませんが…異国であるのは確か。すでに身につけている文化や文明を、何もない島で再現しようとする姿にわくわくしました。
フローネが教えてくれたことは…
世界のどこにいようとも、自分の手と目と足で何とか生きていける!ということ。
こうして振り返ってみると、こじつけもあるかもしれませんが、私の知的関心の基礎を作ってくれたのは世界名作劇場だったと言っても過言ではないでしょう。