観光地として「お城」や「城跡」は根強い人気があります。歴史ドラマの舞台としてもお馴染みの城は、どこか堂々とした風格を漂わせ、その姿から時の重みや武将たちの息づかいが感じられるようです。
建築物としての迫力を味わうのもよし。整備された城では歴史を五感で楽しめる演出がなされており、展示やイベントも豊富。荘厳な天守を見上げれば、歴史の中に確かに生きていた人物が、その場所に確かに存在したことを実感できるような気がします。
人はなぜ城に行くのか。
そこに城があるから。
そして、そこに「日常とは異なる時間」があるから。

お城って…何? 誰も言えないお城の定義
そもそも「お城」とは?
日本にお城はいったい幾つあるのでしょう。
実はこの問いには明確な答えがありません。というのも、そもそも「何をもって城とするか」がはっきりしていないのです。ある調査では「約25,000」とされることもありますが、これは城跡や関連施設、砦のようなものまで含めた数字です。
城の原型をたどっていくと、弥生時代の環濠集落にまでさかのぼれるかもしれません。もちろん、天守閣などはなく、堀や土塁で囲まれた防御的な構造がその原点です。古代では、外敵から身を守るための「そこそこ大きな施設」が城の役割だったといえるでしょう(福岡の水城など)。
いや、それはあくまで土塁であって城ではない!
とすれば、もう少しお城っぽい造りの「山城」はどうでしょう。
こちらは石垣なども残され、随分しっかりとしたものに見えます……が、「お城」といって、土塁やこんもりとした丘を真先に思い浮かべる人は、あまりいないかもしれません。
戦国時代以降のお城
いわゆるお城(とスマホなんかで入力したら出てくる絵文字)が登場したのは、戦国時代とのこと。
鉄砲が普及したため、射程距離を考慮して広い堀が必要となり、険しい山ではなく、平地に築城するようになります。
鉄砲の登場により射程を意識した防御が求められ、堅牢な石垣や広い堀をもつ「平城」が主流に。水堀、石垣、天守(閣)の三点セットは、誰もが思い浮かべるお城でしょう。
書院造を応用した天守は実際には生活の場ではなく、権威の象徴として建てられたもの。織田信長が唯一、天守に住んでいたとされますが、秀吉は迎賓用、家康は観賞用だったとも言われます。現在でもその姿には圧倒的な存在感があり、建築物としての美術的価値は高いものです。
江戸時代には「一国一城令」により、大名の居城となる城以外の城を取り壊すことと、城の新築工事が禁止されます。全国の城は大幅に整理されました。
かつて約3,000あった城は、幕府の管理下で170ほど(全体の約95%)に減少。城の要塞的な役割は変化し、藩を収めるための拠点となり、藩主、藩士ら大名たちが暮らす場所となりました。
その後、明治6年の廃城令により、不要とされた城は解体されたり、公的施設に転用されたりしました。
門や櫓などは寺社に移築され、今でもその痕跡を見つけられることがありますが、多くは姿を消しました。なかでも天守は大きく、再利用も難しいため取り壊しの対象に。しかし、建築的・美術的価値を見出した人々の努力によって、破壊を免れたものもあります。
選ばれしお城の物語
現存天守と100名城
現在、日本には「現存天守」と呼ばれる12の城があり、当時の姿をほぼそのまま残しています。
【現存天守12城】
弘前城(青森県弘前市)、松本城(長野県松本市)、丸岡城(福井県坂井市)、犬山城(愛知県犬山市)、彦根城(滋賀県彦根市)、姫路城(兵庫県姫路市)、松江城(島根県松江市)、備中松山城(岡山県高梁市)、丸亀城(香川県丸亀市)、伊予松山城(愛媛県松山市)、宇和島城(愛媛県宇和島市)、高知城(高知県高知市)

これらの天守は、戦災や老朽化、廃城令を生き延びた、いわば奇跡的な存在。再建された城も美しいものですが、現存天守にはやはり時代の空気が宿っているような迫力があります。
お城と言えば天守閣、そんなイメージもあります。
歴史上で天守に住んだのは織田信長だけだそうで、秀吉は来客用に、家康は観賞用(権威を見せつける)だったとか。
確かに今でも威圧感というか、圧倒される佇まいです。
そんな天守は、廃城の際にも取り壊しや移築などに費用が手間がかかり、再利用も難しいとされますが、「建築的・美術的な価値」はあると考えた、先見の明がある人のおかげで、今でも美しい姿を残しているのだそう。
2006年に「日本100名城」が選定されました。これは、日本城郭協会が定めたもので、「優れた文化財であること」「歴史的な舞台であること」「地域を代表する城であること」などを基準としています。
このリストが登場したことで、「100名城スタンプラリー」を楽しむ人も増えました。のちに「続100名城」も追加され、現在は合計200の城が選ばれています。
選定基準には「遺構が残っているかどうか」だけでなく、歴史的意義や保存状態も含まれています。そのため、「城の形がしっかり残っている」わけではない城も含まれており、「見る」「想像する」「たどる」楽しみが詰まっています。
お城を訪れるということ
お城を訪れる意味
お城を訪れる理由は、人それぞれです。歴史に興味がある人も、ない人も、「なんとなくかっこいいから」という動機であっても、お城という空間にはそれを受け入れる力があります。
そこには、自分の暮らす現代とは異なる時間が流れていて、過去に生きた人々の気配が、どこかに残されている気がするのです。だから、私たちは城へ向かうのかもしれません。
お城を訪れることは、ただ建物を見に行くのではなく、「歴史を体感すること」なのかもしれません。写真や映像では伝わらないスケール感や空気の重さが、実際にその場に立つことで肌に伝わってきます。
再建されたお城を訪れる
いま私たちが目にする多くの城は、実は戦後になって再建されたものです。外観こそ天守閣の形をしていても、コンクリート造で耐震性やバリアフリーを重視した「近代的な施設」になっています。冷暖房が完備され、エレベーターで天守最上階まで楽に移動できる。内部には甲冑や刀、生活用具などの展示があり、かつての武家文化を「演出」しています。
けれど、どこか物足りないのです。現代の技術で再現された“城らしい姿”は、便利で快適かもしれませんが、同時に「ありがたみ」や「歴史の重み」が感じにくくなっているのかもしれません。
現在の建築物は、建築主はもちろん、費用も出来事もすべてが白日の下に晒され、そこに想像の入る余地はありません。
それが仮に復元されたものであっても、形を持っていることで、私たちは「そこに何があったか」を想像しやすくなります。
逆に、現代に新たに建てられたどんなに立派な建物も、背景やエピソードを持たなければ、心を動かす「歴史」にはなりえません。
城跡を訪れる
一方で、現地に立っても何も残っていない「城跡」も数多く存在します。地図に「〇〇城跡」と記されている場所を訪ねてみたら、あるのはひとつの石碑だけ──そんなことも少なくありません。
今は住宅地や公園、あるいはただの空き地に見えるその場所も、かつては町を支配する力を持つ存在だったかもしれない。良い意味でも悪い意味でも、地域の歴史の中心だったことに違いはないでしょう。かつての「権力の象徴」も、今では静かに草の中に埋もれ、名前だけが残されています。
その石碑にすら出会えず、城の痕跡がすっかり消え失せた場所もあります。時代の流れのなかで、幾度も塗り替えられ、ついには“城であった記憶”すら見えなくなる。あるいはその存在すら疑わしい城も。
城だったとされている場所は、今では木立に囲まれた静かな土地であることが多く、そこをゆっくりと歩いていると、木漏れ日が差し込むなかで、ふと過去の気配を感じる瞬間があります。すでに姿は失われていても、そこには確かに「いた」人たちの声や体温のようなものが、空気の底にうっすらと残っている。そんな気がするのです。

お城の過去を想像してみる
立派に「復元」されたお城も、痕跡すら消え失せたお城も、その場所には確かに何かがあったのです。知名度の低い人物が建築し、歴史を変えるような大きな出来事も経験せず、建物としても平凡至極であり、現存しているのは当時のものとは違う……。
だとしても、そこには人々の営みがありました。
栄華を夢見た誰かがいて、権力を握った者もいれば、敗れ去った者もいる。「一国一城の主」という言葉に、なぜか悲願めいた響きがあるように、お城とは単なる建築物ではなく、人間の願望や野心の象徴でもあります。
お城には多くの人の思いが詰まっていました。だからこそ、すべての城には、語るに値する物語があるのです。
石碑だけが残る丘の上に立ち、あたりを見回して「ここにかつて天守が」「あの辺りに櫓が」と、かつての姿を思い描いたりもします。
それは、過去の風景に没入するというよりも、自分の中で時間の層を重ねる作業なのかもしれません。この時代に生きている私たちは、過去の上に立ち、日々を過ごしている。ありふれている街の景色でも、いつしか歴史となり誰かがこの場所に来て、その跡を確かめる。
過去だけでなく未来にも思いを馳せながら、お城の跡を歩くのです。
城は単なる建築物ではなく、それにまつわるエピソードを持っており、それが古い時代であればあるほど、想像と史実と目の前にある建築物のブレンドが、えもいわれぬけだかき香りを醸し出します。お城とは、過去と今とのあいだに立ち現れる「ショールーム」のようなもの。そこには史実と想像、遺構と空想が同居し、訪れる者の感性を刺激します。
歴史とは、記録や資料の中だけにあるのではなく、風景そのものに宿っているのかもしれません。そして私たちは、ほんの少しの想像力と感性をもって、その眠っている歴史に触れることができるのです。